お久しぶりです.長らく更新が滞っていましたが,個人的な近況を少し.この3月に奈良先端科学技術大学院大学の情報科学研究科で修士を取得して卒業しました.4月からはリクルートホールディングスという会社で新卒として入ってデータ解析などをやる予定です.

バイオインフォマティクスからは離れるということで,このブログでの更新は一旦終了し,新しいブログに移行します.これからどんな形で書いていけるかは分からないですが,ブログという形式で文章を書くこと,そして情報発信をすることは,社会人になっても続けていきたいと思いますので,ぜひともよろしくお願いします.

Wolftail Bounds

今までありがとうございました.ではでは.



まずはじめに,本書はNicholas G. Carrによる”The Glass Cage”の訳書である.前作の「ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること」を踏襲しているとはいえ,タイトルの訳があまりに酷いので,この点をまず触れておきたい.タイトルと中身を考慮すると,yomoyomo氏による書評(link)の「自動化は我々をバカにする?」くらいが適当だろう.急速に発達した電子機器任せで思考と判断をなかば放棄した人間は,ディスプレイという名のガラスの檻に捉えられているのと同じだ,というのが本書のタイトルのニュアンスだろうか.

というわけで本書は行き過ぎた科学技術に対する自動化(オートメーション化)に警鐘を鳴らすという内容だが,それ以上に,人間と科学技術の在り方についてかなり広範囲にわたって議論している.「科学技術の発達で雇用がなくなった!?」「科学技術の発達で人間は脳を使わなくなった!?」「科学技術の発達で人間は倫理的判断まで放棄した!?」そういった分かりやすいトピックを各所に散りばめながらも,科学技術が発達することによって,人間はどう変わったのかということが本書の中心にある.もともと自動化というものは,人間の行動を機械に委託して時間や労力を短縮しうるものだった.それが,時に人間の意図とは別に行動までをも変化してしまう場合がある.道具を持って手作業で製品を作っていた熟練工は,レバーを引いて数値を眺めるだけの単純作業者となってしまった.そういった変化を,飛行機のパイロットや医師,車の運転者などの様々な側面から眺めていく.

まず個人的なスタンスを表明しておきたい.ここでは科学技術で作られる産物を一般に機械と呼ぶことにする.人間と機械の関係において問題があるならば,それは機械の設計や使い方が間違っている.人間と機械の接点にあるインターフェイスに改良の余地があるのであって,それはすべて今後の人間工学や工業デザイン的な側面から解決しうるものであると考える.

というわけで私は科学を信奉する者として常に科学技術寄りの考えなので,本書を読んでいるとページごとにツッコミを入れたくなるくらいだった.前半は特に歴史的観点から雇用との関連が出てきて,科学の発達で雇用は失われたと主張する始末で,それはよそでやってくれよと正直辟易した.個々の記述に反論するのは枝葉の問題なんだけれども,例えば飛行機が発明されなかったらパイロットなんてものは必要なかったわけで,それが科学の発達で飛行機の通信士などが不要になったことを強調されてもねぇ,と思ってしまう.それに,パイロットの絶対数や航空業界全体で見た時の雇用人数であったり,離着陸する便数を考慮して正規化した上で考えた時に,本当に減ってるのかみたいな話をするべきだと感じる.正直なところ雇用に関しては完全に蛇足だ.ただ自分に関心がないだけなのかもしれないけど…….

それが後半では少しマシになるというか,ようやく純粋に科学技術と人間の関係性について純粋に議論されるようになる.ここらへんの話は,純粋に道具を使う人間の性質と現在の科学技術の限界と捉えることができるので,だいぶ安心して読める.自動化にはテクノロジー中心的オートメーションと人間中心的オートメーションがあるとか,建築家のドローイングなどを例として抽象化する能力と創造性に関連があるだとか,設計理念として現在のテクノロジーはどうなんだというところが焦点になる.それを踏まえて考えると,人間の意識における知覚は身体的なものの延長線上にあり,それが現実を規定しうるものとして重要だから,それを殺さないようにするべきという感じだろうか.近年突出して出てきたグーグルグラスやスマートフォンなどに対し,本書の中で著者は「使い方次第で全にも悪にも見えるサイクルを,私たちは起動させた (P.258)」と言っているが,それは両面的であり,科学技術を使う人間に委ねられているといえる.

本書の締めの1章では,草刈りという題材で人間の道具との関連性について述べている.草を刈る大鎌は,人間が立ちながら構えることが可能で上半身全体を使って効率よく作業することができる.一方,片手で持つ小鎌は屈んで作業しなければいけないし,大鎌と比べると効率が悪い.でも,小鎌は目に止まった花を無意味に刈ることを避け,小さな動物を間違って殺さずに済む.効率には,無慈悲さや無神経さが伴い,道具を使った行為には倫理的や道徳的な側面があるという.本書で書かれているこの話だけを抜粋して聞くと何のことやらと思うかもしれないが,だいたいの人は大量生産品よりも手作りの料理や工芸品を有難がったりと,そこにはクオリティ以上の精神的な何かが意思決定に働いているのかもしれない.そういったところから,大鎌以上に効率の良いコンバインなどの大型農業機械が登場した現在,これから科学技術がもっと発展して農業の自動化などがよりすすんだ未来,道具の精神性はどのようになるのかという思索で本書は終わっている.色々書かれていて個人的に反発も覚えたものの,本書最後の一段落は,自分の意見と同じ内容で,希望を感じさせるものだった.



日本人人質事件で急激に関心が高まっているイスラーム国(ISIS/ISIL)についての解説本.2015年1月に発刊されたばかりで,直近で言うと北海道大学学生のイスラーム国への渡航計画あたりまでの話が盛り込まれている.と言っても基本的にはイスラーム国についての網羅的な解説本であり,中東情勢を含めた成り立ちの歴史やイスラーム国のメディア戦略などが詳細に解説されている.著者がブログで書いている通り(link),新書ながらもクオリティは高く,非常に濃密な内容となっている.とにかくイスラーム国関連の日本語で読める書籍としては,第一級の情報源といえる.

歴史や地政学が苦手な自分としては,イスラーム国に対する興味で大きいのはやはりメディア戦略の手法だろう.情報発信/情報操作の重要性は,高木徹氏の「戦争広告代理店」を思い出す.同著者の「国際メディア情報戦」ではアル・カーイダについても少し述べられていたが,イスラーム国の戦略は遥かに現代的でかつ緻密に練られている.イスラーム国としてのカリフ制復活の宣言に始まり,欧米人を人質に取った身代金要求の映像や外国人戦闘員の勧誘としての広報誌の作成,奴隷制復活における正当化など,事情を知らない自分が見ても高度に計画され趣向を凝らした内容になっていると感じる.著者はブログで日本人人質事件においても詳細に分析しており(link),その背景知識としても本書に書かれている内容はとても役立つ.

当面の興味としては,イスラーム国の今後が最も気になるところだろう.本書においてもイスラーム国自体の宗教的地政的な側面からの分析や,オバマ政権の立ち位置とともに,奴隷制の正当化に絡んだ宗教改革の可能性についても論じられているのが興味深い(これは山形浩生氏との対談でも述べられている:ISISについて:池内恵と対談).こういった部分も含め,本書で得られた知識を元にイスラーム国について今後も注目していきたい.



会社というものがどういう形で法律により規定されているかを手っ取り早く知りたかったので手に取った1冊.題名通り会社法を解説した新書.表紙に改訂版と書いてある通り,2014年の会社法改定を盛り込んだ内容となっている.

会社法を網羅的に平易な言葉で解説しており,素人の自分が読んでも難しくて理解できないというところは無い.一方では,それぞれの法や精度に関する具体例が少ないために,実感がわかない部分もある.その点は他の書籍を参考にしなければいけない.会社法を知るための最初の1冊として分量も少なく短時間で読めてかつ分かりやすいという点で最適だと言えるし,新書には珍しく索引も付いているので,アンチョコとしても使用できる.

本書を飛び越えてさらに会社などのシステムについて勉強するとしたら,次は財務三表の読み方だろうか.本書では計算書類という表現で紹介しているが,何が書かれているか等の概念のみで,実際にどうやって読んだり内容を理解したりといったことは書かれていない.もし勉強するなら「決算書がスラスラわかる 財務3表一体理解法 (朝日新書 44)」などを読むところから始めようかな.



はてな界隈ではみなさんご存知NATROM先生の著作.題名の通り「ニセ医学」と呼ばれる根拠のない病気の治療であったり健康になるための謳い文句について,個々の豊富な事例からその真偽を現代医学をもとに検証し明らかにしていくという本書.おそらくNATROM先生がこれまでに書きためてきたblog記事が元になっているとは思うが,恐らくほぼすべての文章を書き下ろしているであろう本書は,より一般読者向けの内容になっており1冊の書籍として非常に読みやすい.

当然ながら本書は一貫して科学的なスタンスで進んでいく.ただ頭ごなしに否定するのではなく,きちんと相手の意見を踏まえた上での反証や矛盾を突いた意見を述べることで,一つ一つ検証していく.例えば本書の最初に出てくる「日本人は薬中毒か」という問いには国際的に集計された医療統計を出して反証し,その背景にある日本の過去の医療事情を引き合いに出す.

それに加えて,良くある論調として「医者や政府は利益のための重大なことを隠している!」ということがあるが,それについても医者と保険者と患者の関係性についてきちんと解説している点が評価できる.というよりこの辺りは実際に中の人に解説してもらわないと見えてこない部分もあるので,概要ながらも内情について知ることができたのは良かった.当たり前といえばそうなんだけれども,日本であれば国民皆保険制度を元にした医療行為への支払いを考えれば明らかなんだと感じる.

本書を読めば誰でもニセ医学を暴けるかというと,必ずしもそうはならない.「健康」という分野は広大でかつ未だに未知の領域だ.医学的な知識のみならず,栄養学といった他分野であったり統計の素養が必要になる.そういうときに,目に入る情報すべてについて元論文を当たったり検証することは不可能だ.結局は「人の甘い言葉に乗るな」ということになるのだけれども,人間というものは親族が病気にかかったり心的余裕が無いときには,つい藁をもつかむ思いで騙されてしまうものだ.それは本書著者も指摘しておりかつそれを悪いとは言っていない.そこに漬け込むニセ医者や悪徳業者が悪いのであって,それについてきちんと追求していくことは医療従事者や政府の社会的責任といえる.そういう意味で,出版社を背後に堂々と批判しづらい現状において,本書は非常に価値ある出版だと思う.それと同時に,日頃から自衛できるような知識を身につけること,そこまでいかなくても注意を払うことの大事さを思い直す1冊だった.