本書はフィクションでありながら,同時にノンフィクション,想定されうる未来でもある.本文の言葉を借りるならば

新型インフルエンザの出現は”if”ではなく”when”の問題 (p.19)

なのである.

本書は,東南アジアのある国で起きた鳥インフルエンザの人への感染と強毒化を起点し,そのインフルエンザウィルスがどのようにして感染を拡大し日本に上陸してパンデミックを起こすかを,歴史的・科学的知見を元に詳細なディテールとともにシミュレーションしたものである.インフルエンザウィルスといっても,毎年のように冬になると家族や職場の同僚が罹るようなインフルエンザウィルスではない.最も重要なのは,それが新型でありワクチンがまだ世に存在しないこと,そして強毒性のため感染者に重大な多臓器不全を起こすということである.そのようなウィルスは,感染の拡大を妨害されることなく有病者から空気を媒介して他人に感染する.ウィルスは数日の潜伏期間があるため,感染者は必ずしも病気の症状が出ているわけではない.そのような人知れずウィスルを保持する感染者が,検疫という科学の目すらもかいくぐって,空港,鉄道,バス,職場,そして家庭へとウィルスをばらまき,新たな感染者を生み出し,そして大規模な感染拡大へとつながっていく.

本書で描かれるのは主に感染症研究所の研究員や病院の医者,保健所職員,空港の検疫官など,職業としてインフルエンザウィルスと対峙していく人間だ.彼ら/彼女らの奮闘も虚しく無慈悲にも感染は拡大していくのだが,そこから見えてくるのは,市民の感染症への無知と政府地方自治体の準備不足,そして刻々と死者が増えていく無残な現実だ.インフルエンザウィルスに対して何も対処出来ない感染者,市民,医療従事者,病院,そして政府.淡々と語られる現実の中で感じるのは,様々な不条理に対する苛立ちと無力感,もどかしさなど,本書が読者に訴えかけるものは様々だ.

2011年公開の映画「コンテイジョン」も,強毒性新型ウィルスがアメリカ全土に感染拡大していく中で起こる様々な人間模様を描いた映画であり,本書と非常によく似た作品で共通点も多い.この映画はアメリカ疾病予防管理センター(CDC)や専門家などの協力を得て作成されており,また本書の著者は国立感染症研究所研究員と,どちらも医科学的なリアリティを持ちながらも,同時にフィクションとしての緻密さや現実感を伴って見事に描き切っている.私は映画を見てから本書の存在を知り,今更ながら読んだわけだが,どちらも綿密に練られたストーリーと科学的な裏付けがされた,とても良い作品だった.あと,読み終わった後には必ず何かしないといけないという衝動にかられるだろう.それだけの危機意識を感じさせるという意味でも,本書は非常に啓蒙的でよく作られていると思う.