翻訳家の青木薫氏による書き下ろしの新書.この著者はサイモン・シンの数多くの著作の翻訳を手がけていることで有名だが,今回は翻訳ではなく本人が温めていた企画を科学書としてまとめ上げた形になる.そもそも翻訳業に進む以前に京都大学で理論物理の博士号を取得した氏だが,手がける作品の中で本書の軸となる概念に影響されたのが最初らしい.このあたりは本書の前書きや後書きに詳しく書かれている.そういったところで,自身の専門と関係した分野で翻訳書にまつわる内容を,わかりやすく分量もそこそこに書き上げたのがこの本書「宇宙はなぜこのような宇宙なのか」である.

この題名はトートロジー的な表現をしていて少し分かりにくいが,中身を読めばこのタイトルはまさに本書を一言で言い表していることがわかる.本書のキーワードは,副題にある通り「人間原理」である.この人間原理という物の見方を通して宇宙というものを理解しようとする流れが,最近の宇宙論や理論物理学における潮流となっている.人間原理は一言で言えば

宇宙がなぜこのような宇宙であるのかを理解するためには,われわれ人間が現に存在しているという事実を考慮にいれなければならない

(P.3)

とされる.ここで言う宇宙の理解というのは,具体的には宇宙の性質を決めている物理定数のことであり,実験や観測によって求められる定数の根拠や制約に人間が存在しているという事実を組み込むことで,この宇宙をより正確に理解しようということである.この一見して非科学的で奇妙な原理はそもそもどこから出てきたのか,なんでそのようなことを考えるのかに至ったのかを,これまでの人類の宇宙論/宇宙観を辿りつつ紐解いていく.

本書の中で特に興味深く語られるのは,やはり人間原理の発想というものが,天動説から地動説への転換と非常に類似しているということだろう.これはすなわち人間を中心に考えるか否かの問題である.人間の住む地球を系の中心としていた天動説から,地球も太陽を中心として公転しているする惑星の一つにすぎないとする地動説への転換は,一般に知られるように非常に大きな意味を持っていた.これは人間原理にも同様に当てはまる.われわれが観測している宇宙は唯一の絶対的な世界そのものではなく,観測者である人間が観測できうるようなあまたある多元宇宙の一つにすぎず,なんら特別なものではないかもしれないということである.そういった意味で,人間という存在を中心から引きずり下ろすということは,天動説から地動説への概念的な移り変わりと非常に似通っているといえる.

ただし,だからといって天動説を信じてきた人々や人間原理以前の人々が傲慢であったかといえば,もちろんそうではない.人間の認識は,そして科学は,ものの考え方であるモデルを立ててそれを実験や観測によって確認することで,現象を理解につなげる.天動説はその当時の天体の観測技術ではある程度妥当であり,天体の運行を予測するということでは一定の成果を上げていたとされる.現代から考えると想像しづらい世界だが,そこは否定しようのない事実であり,それを無知という言葉で片付けることはできない.科学においては,常にモデルは理論を補強する実験データを求め,観測はその背後にある統一されたモデルを求める.人間原理はその繰り返しの中で出てきた新しい考え方であり,それが妥当であるかどうかはこれからの科学の発展により受理または棄却されていくのだろう.「巨人の肩の上に立つ」という言葉があるが,現代において人間原理は紛れもなくその巨人の肩の一部となっている.