Appleのデザイン哲学とともいうべき本書は,”Think Different”やiMacのマーケティングに携わってきたクリエイティブディレクターのケン・シーガルによるAppleのマーケティング戦略の裏側を描いている.Appleにおけるスティーブ・ジョブズの異常なまでのデザインへのこだわりは有名であり,なぜそれが成功したのか,今までの大企業ができなかったことがなぜできたのか,その哲学を第三者の視点から捉えようとする書籍は多数出版されている.しかし本書は,実際にスティーブ・ジョブズとともにマーケティングのパートナーとしてAppleのブランドとマーケティング戦略を作り上げてきた人物によるものだ.奇しくも彼が関わっていたのは,Appleが一度スティーブ・ジョブズの手から離れた後の凋落の時期と,スティーブ・ジョブズ復帰後の華麗な復活を遂げるまでの間である.製品としてはiMacが生まれiPodが生まれ,Appleという会社のイメージが洗練された時代である.その内部で何が行われていたのかが本書にはこれでもかというくらい詰め込まれている.キーワードはもちろん「シンプル」だ.

この本は読んでいると不思議な気分になる.どこを切り取ってもおんなじことしか書いてないように思えるのだ.少なくとも全10章,Think Brutalにはじまり,Small, Minimal, Motion,Iconic,Phrasal,Casual,Human,Skeptic,Warというそれぞれの考え方に分かれているものの,出てくる逸話はどれも「Appleらしさ」以外の何者でもないという感じだ.もちろんスティーブ・ジョブズというAppleそのものを体現する人物が出ているというのもあるのだが,著者らの考え方であったり,マーケティングという理詰めでは不可能な課題に対するアプローチは,一貫して私たちが想像するAppleそのものだ.

このようにAppleのデザイン哲学を知ることができる一方で,スティーブ・ジョブズの芸術肌によって独裁的に決められていったわけではないことも次第に見えてくる.言ってみればスティーブ・ジョブズの失敗談だ.自分の感性を強く信じる一方で,人に意見を求めることが多かったり,周囲の意見も広く取り入れたようだ.例えば,初代iPodのシルエットのCMを最初は嫌がったり(それまで白が背景のシンプルなCMが多かったから),iMacを当初はMacManと付けようとしたり,今となっては信じられないような話が出てくる.スティーブ・ジョブズのマーケティングに対する考え方や彼の人となりを知ることができる興味深い1冊だった.

これだけApple流のマーケティングが成功していても,依然としてスペックを売りにした広告や人間が読むのを想定していないような商品名が出てくるのは何故なんだろうなというのが,本書を読めば分かる.みんな気付いてはいるし理想だってあるんだけれども,大企業という構造の中でいつの間にか無難なものへと変わっていくのだ.著者がAppleとともにマーケティングを担当したデルやインテルが失敗例として挙げられていて少々可哀想だが,そこから得られる教訓は大きい.