ハーバード白熱日本史教室 (新潮新書)で知られる北川智子氏の人生をなぞるようにして,彼女の勉強に対する姿勢や方法を書き起こした本.高校時代にカナダに留学した時から始まり,そのままカナダの大学へと進学,専攻を変えつつアメリカの大学院を渡り歩き,そしてハーバードでのカレッジ・フェローとイギリスのケンブリッジ大への挑戦という各段階において,どのように勉強をこなし成果を上げてきたかという経験が語られる.国を変え,専攻を変え,研究対象を変える.彼女はそのようにして興味を追いかけハードルを乗り越えながら勉強してきたという.その中で培われてきた独自の勉強法が,彼女の体験とともに紹介される.

本書では様々な勉強法が紹介されるが,全体に共通するのは恐ろしいほどの勉強量である.文章の端々に表れる異常なまでの勉強時間,勉強量,集中力,アウトプット,そのどれもが,字面だけでは到底推し量ることのできないほどの苦痛と困難に満ちていたであろうことを,どうしても感じとってしまう.例えば,1週間の日程表は午前7時から始まり27時まで書かれている.文字通り100杯以上のコーヒーを飲み,博論を書き続けて気付けば5日経っていたこともあったという.そのような過去の苦労に対して,どちらかというとリアルに表現することなくソフトなタッチで書かれているために,つい大げさだと受け流してしまうかもしれない.しかしながら,その経験談の裏にある彼女の人生が辿ってきた険しい道というものは,明らかに存在する.勉強法という小手先の技術というべきものが,巨大な努力量と綿密な下準備というものによって支えられているということを,ある意味気づかせないようにしているとも取れる.

みんな,誰もが効率というものに取り憑かれて,少ない労力で多くの成果を得たいと思っている.活躍する人の真似をすれば少しは自分もそこに追いつけるかもしれないと思っている.と同時に,成果に繋げるには生活すべてを勉強に注ぎ込む必要があるのだとも薄々気づいている.自分に何ができるかという答えなき問題に対する不安や諦観には,とやかく人に言われるよりも,試行錯誤を繰り返して自分で見つけ出すしかない.しかしながら,他人の人生と教訓を学ぶことは,決して悪い方法ではないと僕は思っている.他人が経験した他人の人生を自分の中で上手く反芻することができれば,それは何かしらの手がかりにはなる.そういった意味で,本書で語られる北川智子氏の人生は,多くの日本人よりはるかにかけ離れたものであり,現在の日本の価値観におけるロールモデルであり,実現不可能な人生ではないことを示してくれる実例となっている.