「結局のところ人工知能は簡単には作れなかった.実現するのはまだまだ先だ」というのが殆どの科学者の大まかな見解だろう.20世紀半ばに計算機科学が勃興して以来,情報処理の応用分野は数知れず,チェスで人間を負かしたりはしたけれども,結局人間の知能を模倣するのは想像以上に難しかったということだ.脳の機能を真似たニューラルネットワークは機械学習の分野を拓いてきたし実際にアルゴリズムは機能して問題解決に役立ってきたけれども,それは明らかに人間の脳の働きとは全く違ったものだった.

この本で作者のジェフ・ホーキンスは,もう一度人間の脳に真剣に向き合い,構造やニューロンの反応,情報を認識するシステムや脳科学の実験結果を元に,脳と知能の本質的な理解を深めようとしている.そこで彼は,感覚器官から伝えられる信号を大脳新皮質で認識してパターンを解析することが,脳の高度な情報処理において重要であると結論づけている.この新皮質における6層からなるニューロン群は各感覚器官から神経を伝って送られた電気信号を受け取るのだが,場所によって視覚や嗅覚といった機能を分けているわけではない.全ての情報は全て新皮質全体で一つのパターンとして認識され,入力の時空間的な変化によって処理される.空間的な変化は新皮質の2次元的な広がりに,時間的な変化は流れこむタイミングと対応している.ここで重要なのは,全ての情報は新皮質の空間的な変化としてパターン化されるため,眼や耳,鼻がそれぞれ視覚や聴覚,嗅覚と対応しなくても良いということだ.当然それぞれの感覚器官はそれぞれの感覚に特化されているが,それらでなければ認識できないわけではない.例えば,舌に電気信号を送ることで,視覚の代用をすることが出来ることがわかっている.各感覚器官が独自に処理をして最後に脳が統合するという流れではなく,感覚器官の生の情報を脳が最初から統合して処理しパターンとして認識しているのだ.

当然ながら,これだけで脳の知能をすべて説明できるわけでもないし,人工知能を作ることができるわけでもない.ただ,数学的な応用や使えるアルゴリズムでその場凌ぎ的な満足を得るのではなく,脳科学の知見を取り入れて人工知能についてもっと広い視点から包括的に考えていこうという著者の強い意志が印象深く,脳科学的な解釈や主張も非常に面白い本だった.ただ,この本の提言を改めて読んで,昨今の機械学習の盛り上がりに同調する様に現在の技術の手応えを感じるか,IBMのワトソンがクイズの答えを導くアルゴリズムを見て脳科学との乖離と見るか,本文で書かれた問題提起を踏まえて現状をどう見るべきなのかは少々判断が難しいところだろう.