企業向けの情報誌「現代産業情報」を刊行し,兜町の石原と呼ばれた情報屋である石原俊介を追ったノンフィクション作品.彼と親睦の深かった同業者の著者が,石原俊介が生きた時代に起きた平和相銀事件やリクルート事件などの政官財を巻き込む事件を中心に,その仕事の軌跡を紐解いていく.
そもそも私に本書を読むためのバックグラウンドが無いのは当然といえば当然で,本書に登場する平和相互銀行をはじめとした数々の銀行の名前は,私が物心付いた頃にはもう既になくなっており,かろうじて現在の大手銀行の名前に名残があるくらいだ.当然ながら,そういった銀行が起こしてきた事件はそもそもあったことすら知らなかった.そういう状態で本書を手に取ったものの,自分の知識不足を感じることはほとんどなかったと思う.事件の概要から始まり,中心人物たちの経歴,まだ総会屋が活躍し暴力団が今ほどに影を潜めてなかった時代の世相,そして石原の仕事とその役割など,そういった事件を多面的に理解するための材料はひと通り本書の中に揃っていた.そもそもが業界の裏を書いたノンフィクションであり,他の読者も私と同様に知識を持ち合わせていない人が大多数なのだろう.そういう意味で,読者を選ばないような丁寧な解説ぶりが印象に残る.
一方で,あまりに自分の世界とかけ離れていて想像が及ばない部分もある.そもそもの高度経済成長期からバブル崩壊までの日本,情報誌というものが重宝された時代,そして政官財の世界.過去のことだと割り切ってなかば昔話として考えることも可能だけれども,とりあえずはいままで見聞きしたことや本書を読んで学んだことをもとに再構築していくしかない.
ただそこに存在した情報屋の価値は,今でもはっきりとわかる.インターネットで様々な情報が瞬時に手に入る時代だからこその,生の情報の大切さ.新聞やマスコミの偏向が明らかになるほどに,情報というものがいかに不確実なもの,一つの側面を映し出したにすぎないということがわかってくる.そういうときに,石原俊介のような情報屋が,利害や契約関係を超えて情報誌として告発や批判記事を公開することや,相談役としての企業へのアドバイスが重宝された理由というものがわかる.と同時に,それが並大抵の人では不可能なほどに難しく,稀有な存在であったことも事実だ.本書では石原がそれを成し得た理由というものが各所で考察されるが,彼の卓越した情報処理能力や立場を限定しない取材態度,銀座のクラブを起点とした情報のハブとしての役割など,その仕事術の一端を垣間見ることができる.
個人的な経験として,インターネットに本格的に触れ始めた時に叩きこまれた教訓として「情報というのもは自ら発信することによって集まってくる」ということがある.本書はある意味でその教訓をまさに体現する1冊として,興味深い内容だった.