今年は意識的に本を読んだ1年だった.そしてこのBlogに書評も書いてきた.今年読んだ本は約80冊,書いた書評は約60記事ほどになり,よくここまで来たなと,登ってきた山道を見下ろすような気持ちだ.その年を振り返るにあたり,本との向き合い方に関して多少なりとも考えるところがあったので,今年最後のエントリで今までに考えてきたことを纏めてみようと思う.

今年と向き合うにあたって

僕はもともと本を読むのが苦手だ.2時間あれば本を読むより映画を観ていたいような人間だし,暇あらばテレビや動画サイトで時間を潰してしまうような人間だ.しかしそれでもとにかく本を読むために,読む環境を色々と工夫して,読んだ本について要約したり関連書を眺めたりして,なんとか書評を積み重ねてきたという感覚だ.自分にあった読書法を探すのはかなり大変だった.まず行き帰りの電車の中で読むことを考えるも,電車で30分程度本を読むだけで乗り物酔いすることが分かってからは少しずつ控えるようになった.次に僕は注意力散漫で長時間集中できないので,だいたいどのような環境でも1時間半くらいもすれば字を追うことに飽きてしまい,本に書いてあることに関して自分の意見を考えたり要約を作成したりするようになる.とにかく本に向かうのはそれくらいが限度だ.といっても常に苦痛というわけではなく,大半の時間は身の回りのことを忘れて本を読むことに没頭できたけれども,それでもいつか我慢の限界を超えて本を閉じることがよくあった.1冊の本に向かい合うことも苦手で,平均して3,4冊程度の本を並列に読んでいた.例えば,家ではこの本,カフェではこの本,電車の中ではこの本…といったように,常に別の本を手にとってはちょっとずつ読み進めるということで,なんとか読書のサイクルを回していた.とにかく僕は,本好きでもなく読書家でもなければ,速読ができるわけでもないし,これまで意識して本を読んでそれに対する何かしらの文章を書くということをしてこなかった.

それでもこれだけ読書と書評を続けてこれたのは何のおかげだろうかと考えると,色々と要因はあるような気がする.その中には本当に色んなものが交じり合っていて,Blogを埋めるためのネタ探しということであったり,学者は文字を読むのが仕事だという誰かの言葉やらのせいであったり,山形浩生への憧れであったり,これまでの価値観を変えうる本との出会いであったり,自分でも全容を把握しきれていない.これらが,時には支えとして,時には強迫観念となって追い立ててくれたからこそ,今年の自分の行いを振り返ったときに,ある程度まとまった成果として表れたのだと思う.楽しいときに読んだ本もあり,辛いときに読んだ本もあり,本との向き合い方は様々だ.でも,それでいいのだと思う.成果とか効率とかいったことは良くわからないし測定もしてない.膨大な情報の中から,いったいどれくらい自分の知識として吸収できたのか,正直なところ想像もつかない.それでも,このBlogで書評を書き,少なからず読者の方からフィードバックを頂いた.とにかく自分としては,何かを残せて,そして誰かに影響を与えることができたというだけで,これ以上のことは無い.最初の頃はアクセス数や集客といった数字に一喜一憂する日々だったけれども,最近ようやく振り切ることができた.それはある意味で,自分の行動に自覚的になったからだと思う.好きでなければこんなこと続けてないし,割に合わないことに膨大な時間をかけたりはしない.それでもやるからこそ意味があるし,自分を見つめなおす価値あるものとして,このような形で認識するに至った.

来年に向けて

さて,今年の総括はこの辺にして,来年2013年もこのような感じで読書を続けていこうと思う.来年は色々と生活が変わる予定なので,今よりはペースは落ちるかもしれないが,それでもコツコツとやっていければと思う.あとはもう少し読書のスピードを高めるだとか,文章を書く効率を良くするだとかして,クオリティはそのままに自分のスタイルを変えることなく続けられたらと思う.

今年2012年,このBlogを読んで下さった方,コメントやリンクをしてくださった皆様,本当にありがとうございました.来年もよろしくお願いいたします.

ちなみに,冬休みの課題図書はもう購入してあるので,あとはひたすらに読むのみ….



つい先日SOAPdenovo2というゲノムアセンブリのツールに関する論文が公開されたのだが,このツールのライセンスに関して問題が出ているようだ.というもの,SOAPdenovo2の論文内で宣言されているライセンスがGNU General Public License version 3.0 (GPLv3)にも関わらず,ツールの配布はバイナリ形式に限定されており,そのソースコードが公開されていない状態になっているからだ.SOAPdenovo2の公開とライセンスに関する問題は,以下のBlogで詳しく取り上げられている.

SOAPdenovo2は,SOAPdenovoというアセンブリツールの改良版として開発が進められてきたソフトフェアである.以前からバイナリ形式での配布は行われており,アップデートも度々行われてきたという経緯がある.そして今回SOAPdenovo2の論文がアクセプトされて公開されたわけだが,それでもなおソースコードが未だに手に入らない状態となっている.

この問題に関して,上記Blogでリンクが貼られている論文のReviewer’s reportに書かれている通り,論文著者は「論文がアクセプトされたらすぐにでもソースコードを公開する予定だ」と言っていたようだが,実際はそうならなかったらしい.これに対し論文誌の中の人がコメントしており,すぐにでもソースコードを公開させるとのことだが,現在のところ(2012/12/28 14:00)SOAPdenovo2のソースコードは公開されていない.

追記(2012/12/28 18:30)

どうやら公開されたようだ.



今年に入ってiPadを買ったりPS3を買ったりしたこともあり,ちょくちょくゲームをやるようになった.その中から印象に残ったものを幾つかピックアップして振り返ってみる.

風ノ旅ビト(PS3)

とにかく今年一番良かった&影響を受けた.ひと通りクリアしてトロフィーを全部集めた後も,なんだかんだで結局10週くらいはしている.といっても1時間程度で終わるようなゲームなので,疲れた時とか辛いときに考え事しながらやるという感じ.風景を見つつ民族風の音楽をバックに風の音を聞きながら歩くというただそれだけのことなのだけれども,ただそれだけで癒される.

以下は,別のBlogで以前書いた記事.

PS3を買って「風ノ旅ビト」というゲームをプレイしたのだが,これが非常に素晴らしいゲームで,ラストには感極まって号泣してしまった.物語やゲームの内容に関してはネタバレになってしまうのでここでは避けるが,とにかく操作して楽しいゲームだった. それで,PS3のゲームにはトロフィーシステムというやりこみ要素があるのだが,これを集めるの難しく幾つか集めるだけでもかなり大変だった.トロフィーの条件として普通に遊んでいて取れるものから隠し要素を含んだものまで様々あり,条件を達成するためにアレをやったりコレをやったりと,ゲームの中を果てしなく彷徨うことになる.ひたすら無意味なことを続けたり来た道を戻ってみたり,とにかくただひたすらに何かを探しまわる.旅に同行している仲間も,さぞかし変なことしてる奴がいると思われていただろうと思う. そんな感じでぼんやりとゲームをしていると,たまに自分のプレイしているキャラクターを客観視しだすことがある.「何やってるんだろうコイツ」とか「もうちょっと頑張れよ」とか,自分がプレイしているくせにあたかも人事のように考えてしまって笑いそうになる.ただ,そうやって一通り考えた後,ため息をついて「まあこういう奴がいてもいいよな」と,毎度のことながら変に納得してしまう.ただひたすらに出口に向かう必要はないのだ.時には迷ったり意味のないことをしたり,ただただ絶望して立ち尽くしたりしても良いのだと,肯定とも慰めともつかないような気持ちになる. ゲームそのものもを遊ぶことも楽しいのだけれども,やはり自分の頭で色々と考えることの方が楽しい.そういう意味でも,考えるキッカケ,考える時間,考える雰囲気を作ってくれるような良いゲームだったと思う.

http://yag-ays.hatenablog.com/entry/2012/03/31/205225



スキタイのムスメ:音響的冒剣劇(iPad)

確かゲームの翻訳の記事を何処かで読んだのがキッカケでプレイしたゲーム.iPadなどでプレイするのに特化したゲームシステムが面白かったり,自分のゲーム進捗をTwitterで報告できたりと,色々と実験的なゲームだった.全体的に面白かったのだけれども,マップの移動がダルかったり先頭が単調だったりと,少し作業感があった.

以下は,別のBlogで以前書いた記事.

体調が悪くて家で寝込んでいるときに,「スキタイのムスメ」というゲームをiPadで遊んだ. http://itunes.apple.com/jp/app/sukitainomusume-yin-xiang/id424912055?mt=8

ゲームとしては謎解き+アクション少しという感じで,それほど時間のかかる分量ではない.ドット絵や音楽など個人的に好みな雰囲気で,システム面や物語など全般的に荒削りな部分はあるけれども,それはまたそれで味を出しており,全体的な印象としてはそれほど悪くなかった.というよりも,クリエーターのドット絵と音楽の世界観への溢れんばかりの愛で,そんな些細なものは全部吹っ飛んでしまうようなそんな迫力があった.

個人的には,こういうゲームはサクサク進んでくれないと途中で飽きて中だるみしてしまって面白く無いと思う.なので個人的なオススメとしては,もし途中で詰まるようなら,素直に人に訊くなり攻略サイトを見るなりすれば良い.「Sword & Sworcery guide」みたいな感じでググれば,英語だが攻略情報は出てくる(日本語の攻略情報はまだ出揃ってないみたい).もしくは,日本語版オフィシャルページの紹介動画を注意深く見れば,実はどこで何をすればいいか大体想像がつく.ゲーム途中でこの動画を見返して「これは明らかにネタバレだろう」と思ったが,まあそんなことはこのゲームの楽しみの前では些細なものだし,別に目くじら立てることでもないだろう.それくらい音楽聞きながらゲームするのは楽しかった.

http://sworcery.jp/

http://yag-ays.hatenablog.com/entry/2012/06/28/111430

スキタイのムスメ:音響的冒剣劇 [発売ムービー] from Superbrothers: Sword & Sworcery on Vimeo.



アンフィニッシュド・スワン(PS3)

前評判はかなり良かったのだけれども,実際やってみると意外に新鮮さとか驚きが無くひたすら作業という感じで,期待が大きく外れてしまった.ゲームのシステム自体はとても面白く創意工夫が至る所に見られるんだけど,どこか融通が利かなかったり不親切なところがみられたりと,いまいち感動がうまく伝わってこなかった.あと,自分としては珍しく途中で3D酔いしてしまい,途中でだいぶしんどかった覚えがある.



浅草キッドの水道橋博士による,芸能界で活躍している人々の伝説を自身の体験とともに纏めた本.ターゲットとなる人物は,芸人からTVプロデューサー,アナウンサー,歌手からホリエモンに至るまで多種多様なラインナップとなっている.芸能界というくくりであるからには,何かしら自分の話術なり知識なり人間性なりを切り売りする仕事であることには間違いないのだが,それでも常識を大きく飛び越えるレベルの人間模様を捉えたり,表には出てこない隠れた才能を引き出すという意味で,本書はTVなどメディアで見ることのできない一面を見せてくれる.

一方で,芸能界に生きる多様な人物を描くといっても,やはり元となる人物を知らなければそもそも楽しめないということがある.また,2000年代前半の記事が多く時事ネタが結構盛り込まれているということで,記事の古さを感じさせる部分もある.ただ,それでも今改めて読んで面白く,それぞれの人物を再認識せざるを得ないような内容であることには間違いない.

水道橋博士といえば「博士の異常な鼎談」や「博士も知らないニッポンのウラ」などの対談番組には馴染みがあったものの著作を読むのは今回が初めてということだったのだが,なかなかに面白かった.



別のBlogで以前書いた文章に関して,現在読んでいる本「リファクタリング・ウェットウェア ―達人プログラマーの思考法と学習法」でアン・ラモットという人物の文章の書き方に関する共通の話題があったので,前に自分が書いた文章を読み返しつつメモしておく.

本書では,P.74の「つたない草稿」というコラムにおいて,完璧な仕事を追求するのではなく意図的につたない草稿を作るべきだとラン・アモットが提唱しているということが引用される.そして,完璧主義の危険性について注意を促し,不確実なことがあっても落ち着いていられるためには「完璧」であることを捨て去る必要があるということが語られる.これは以前書いた文章において推敲を重ねるということにも共通している.とにかく子供の落書きでもいいから書き始めることは,完璧ではないことを認めることだ.

以下に,以前書いた文章を転載しておく.ここで書いたような体験があったからこそ,ヘタクソで装飾の多い今の文章でも少しずつよくしていけばいいんだと開き直って書評なり読書ノートを書き続けてきたということがあるので,久しぶりにアン・ラモットの主張を読んで色々と再認識できたところがある.著者の本を直接読みたくなってきた.それにしても,このアン・ラモットという人物,日本語に翻訳されているのは子育て本1冊だけらしく,日本では全然知名度が無い模様.コラムで紹介されていた著書に関しても翻訳は無しということで,なかなか手を出しにくいところがある.

 毎回blogで書評を書くたびに,書評ってどうやって書けばいいんだろうと考えこんでしまう.むしろ文章の書き方が分からないと書いたほうが正確かもしれない.まるで見知らぬ住宅街の路地にでも迷い込んだ気分なのだ.クライミングをする時に,足をどこに引っ掛けて登りはじめたらいいのか分からないような感覚にも似ている.Macのディスプレイを目の前にして,真っ白なエディタ画面に何を打ち込めばいいのか皆目検討もつかないような状態が続く.しかし,ふとした拍子に何か短い文章を書き始めると,途端にキーボードを打つ手が止まらなくなる.書いた文章に続く文章を書く.表現が悪いと文章を書きなおす.また文章をつなげていく.ゴールが見えてきたら先に書きだしてしまって,あとはその間を埋める.書いた文章がある程度まとまっていればそれで先に進んでいけるし,駄目そうなら書いた原稿はそのままにもう一度先頭から書き直す.そうやって,氷の結晶が核の周りを包み込んで形作っていくかのように,ライフゲームにおいて小さなパターンが無限に近い拡がりを見せるように,元からそう仕組まれていたかのように筆は進んでいく.ある種の慣性が働いた状態は続き,終着にたどり着くかエネルギーが尽きるまで止まらない.そうやってひと通り書き終えて,ああ今回は何とか書けたと安堵して,何で最初はあんなに不安だったのに成り行きでまがいなりにも纏まった文章が書けたんだろうと疑問が残る.まあ,その疑問は大抵すぐ忘れて次の文章を書き始める時まで思い出さないのだが.

 なんてことを思っていたら,最近読んだ本「小さく賭けろ!―世界を変えた人と組織の成功の秘密」で同様の問題について触れている逸話があった.作家のAnne Lamottは「優れた作家は必ずつまらない初稿を書く」と言い,自分がレストランのレビューで書き始めにさんざん苦労したこと,ようやくひねり出した文章が恐ろしく酷いことを素直に表現した上で,

「ともかく何でもいいから紙に書いてごらん.子供が書くように,頭に浮かんだことをそのまま書き留めてみる.優れた作家は皆そうしている.そうして二稿は少し良くなり三稿はもっとずっとよくなる」

と結論付けている.また,本書の著者であるPeter Simsはこの現象を「白紙ページ問題」と呼び,

「アイデアを最初に思いついた時には,可能性は無限に広がっているように思える.しかし目の前に大きく広がっていると思えた可能性は,自己懐疑と不安の牢獄へと変わるときがくる」

と表現している.

 この話を読んでちょっと安心できた気がする.評価されている作家でさえも同じような苦悩を味わっているのだという共感と,この問題に対する明確な答えが得られたという心強さが相まって,もう少し今のスタイルで経験を積んでいこうという気分になった.

http://yag-ays.hatenablog.com/entry/2012/09/12/142735