本書はNHKスペシャルにて放送されたドラマおよびドキュメンタリー「NHKスペシャル シリーズ 最強ウイルス」のスタッフの取材記録を元にして,そのH5N1という新型インフルエンザの実態や各国政府の対策などの情報をまとめて再構成したものだ.2008年時点での現状として,H5N1は東南アジア諸国において鳥から人間への小規模な感染が確認され死者も出ているが,今のところ人間から人間への感染力の強い変異は起きていない.しかし,実際に特定の家族間ではヒトからヒトへの感染が確認されているなど,これも時間の問題とされている.本書ではまずこのような事実とインフルエンザに関する基本知識が述べられたのちに,実際に検討・実施されている世界各国のパンデミック対策や,そこから少し遅れている日本政府の実態と,地方自治体レベルでの取り組みが紹介される.また,新型インフルエンザのパンデミックに対してそれぞれ異なる意見を持つ日本人研究者3人に対して,個別にインタビューして見解を伺った記録も興味深い.

H5N1」に引き続いて2冊目となる本を読んだのだが,2008年出版の本なので少し情報の古さはあるものの,よく情報が整理されており200ページ程度の単行本に上手くまとまっている.科学的知見をベースにしたフィクションである「H5N1」と比較して,新型インフルエンザをとりまく情報自体は特に目新しいものはなかったが,本書では豊富な実例のもと,アメリカにおける模擬訓練の取り組みやウィルス検体提供における国家間の軋轢などが示され,より社会的な視点に重きが置かれている.また,ワクチンの製造や貯蓄に関しても非常に重要な問題であり,アジュバントと呼ばれるワクチンの効果を高める化学物質も開発され実用化にむけて臨床段階に入っているなど,行政以外の活動も盛り込まれている.本書を読んでいると,とにかく日本のパンデミック対策は遅れているんだという事実にもどかしさを感じるばかりなのだが,NHKで取り上げたことにより社会的な影響も多方面であったようで,このことが政府が重い腰を上げるきっかけにもなったようだ.そういう話を聞くと幾分安堵を覚えるのだが,一番の恐怖は新型インフルエンザ自体であるということは常に意識しておかなければいけないことだろう.

さて,10月に入り今年もインフルエンザの予防接種が受けられる時期になったので,早めに受けるとしよう.



タイトルにあるように,本書は読書をする能力の重要性を唱える本である.著者は,読書は自己形成の手段であり教養を養うために必要な能力であると主張する.特に本書冒頭では,本を読む読まないは自由だという意見を否定し,本は絶対に読むべきものだと断定している.それと同時に,今まで読書によく親しんできた人間が読書を軽んじている発言をすることを強く非難し,本を読むという行為の重要性や意味,効果などが列挙される.また後半では,どういった方法で本を読めばよいかといった技術に関しても語られる.

読書というものは,言ってしまえば文字や文章を読むといったことは,文字の読み方を覚えたばかりの子供から眼が衰えた老人まで,文字を読める人間すべてが行う行為だ.読む対象としての活字の種類も多岐にわたる.しかし本書では,読書と言いながらも,語られるのは子供や若者に対する,よく言われるような活字離れや読解力の低下に対する警鐘と,自分が感じてきた読書の素晴らしさや思い出話ばかりが強調される.言ってしまえば,本書は子供のための読書論であり,それはただの教育という行為にすぎない.それを悪いとは言わないが,それを読書論として展開するのはあまりにも読書という行為とかけ離れている気がする.結局のところ読書を他の単語に変えても若者のだらしない現状を憂いているような文脈で成り立つようでは,読書に関して何も踏み込んだことが言えてないのではないかと思う.巻末のお薦め文庫100選も近代文学などの古典や個人的なお薦め本ばかりで,つまるところ読書ではなく教養についてアレコレ言いたいだけなのだといった感想しか持てない.

結局はよくある読書礼賛本だったが,ただ個別に見れば同意する部分もある.本の読み方には色々と種類があり,軽く要点だけを掴むような読み方から,じっくり時間をかけて文字を追っていくな読み方まで,本の種類や状況に応じて変えるべきだという意見は正にその通りだ.ボールペンで書き込みをしたり音読することの重要性も賛同できる.その他にも読書による思考能力の強化に関しては全面否定出来無いあたり,言ってることは正しくても全体として意味をなしていない感じが否めない.

あと,妙なところに突っかかっても意味がないのだが,どうしても一言言いたい部分がある.「本を引用する会話」に出てくる衒学的な会話にまつわる話だ.著者は,ペダンティック・衒学的という言葉自体が死語になりつつあるのは,知らないことを恥と思う文化がなくなったからだという.知らないことが恥でなくなったから,相手に難しいことを言われても恥だと思わなくなった.教養が尊敬されることだからこそ,意味のないひけらかしを批判する言葉も使われる意味があったのだと言っている.これは本当だろうか.衒学という言葉が死語になったのと知らないことを恥と思わない文化がなくなったことの真偽はまあ脇においておこう.では,教養がなく物事を知らないことを恥と思わなくなれば,意味のないひけらかしをする人間に対して衒学だと思わないのだろうか.僕はそうは思わない.レベルの程度はあれど,本質的に意味のある話をしないことに対する蔑視は,教養の無さを恥と思うか思わないかに依らず存在する.「グローバルなイノベーションをマネージメントする」なんて糞みたいな定型文を聞いてイノベーションという単語の意味をしらないけど恥とは思わないから何も感じませんといったことにはならないだろう.教養や知識は関係なくとも,相手の言葉に意味がないということを感じ取れるからこそ,その発言を空虚だと判断して衒学的だと非難できる.そこに物事を知らないことで感じる恥は関係ないと思うのだが,どうやら著者の眼には若者が何も考えてないとしか写っていないらしい,本書ではこのあと唐突に本の話を若者がしなくなってけしからんという話が始まって余計に辟易するのだが,衒学のところにも非常に疑問が残る.そもそも本書自体が,古典文学や昔の偉い学者を盾にして一方的に時代の変化を憂いているだけの衒学的な雑感にとどまっているんじゃないだろうか.



きっかけ

本を裁断してpdfにする自炊というものをやり始めて1年以上が経ち,自炊したpdfも350冊・35GBを超えてしまった.手持ちのiPadには全部の書籍が入りきらなくなってしまい,終いには自炊した本のことを忘れて中古で買い直す始末.そんなこんなで,自炊した書籍のpdfをまとめる本棚みたいなものが欲しくなってきた.手の込んだものはいらないので,表紙をざっと眺めたり,タイトルと著者を検索できる程度のもので簡単に済ませたい.

というわけで,Sphinxで静的htmlを吐き出してDropboxのPublicフォルダで公開するようなシステムを簡単に組んでみた.SphinxはPythonで書かれたドキュメンテーションツールで,rst形式のテキストから静的なhtmlを出力できるほか,jsで簡易な検索もできる.バックグラウンドでスクリプトを動かしたりデータベースを置いておく必要がないので,DropboxのPublicフォルダみたいな場所でも公開できる便利さがある.今回はそれをメインにして,付加情報として書籍ファイルのISBNを使ってAmazonのProduct Advertising APIを叩いてメタ情報を入手し,書籍カバーの画像と一緒に表示させるようなSphinxのrstファイルを作成するという目論見.今回やってみた限りだとDropbox+Sphinxは連携が案外簡単だったので,この他にも個人的なメモなどの用途にも最適だと思う.

なお,今回のウェブページはリンクを一般に公開しておらず,また書籍pdfはダウンロードできる状態にはしていない.書籍の電子化に関しては色々難しいところがあるのでスクリプトの公開などは控えるようにする.



だいぶ時間が空いてしまった.「外国語で発想するための日本語レッスン」に続いて本書も既に読み終えていたのだけれども,色々な印象をもう片方の本に引っ張られそうだったので,あえて書評を書くのを先送りにしていた1冊.少し間をおいて改めて通読したのだが,その間に本書の技術をどれだけ現実に活かすことができたかと考えると,なかなか自分で評価するのは難しい.

本書「外国語を身につけるための日本語レッスン」は,会話における論理的な言語技術を身につけるための本である.疑問と回答を繰り返す論理的な対話は,基本的に言語に依存しない.ただ,言語の背景にある文化や共通認識によって,そのスタイルというのはかなり違ったものとなっている.そういった点において外国語に翻訳できるような日本語というのは,日本語でありながら日本語的ではない一面も持つ.本書はその違いを埋めつつ言語的に互換があるような論理的な会話を組み立てるために,日本語で曖昧になっている部分をとことん突き詰めて理解するところから始まる.そして,自分の理解を相手にはっきり分かりやすく伝え理解してもらうためには,どういう情報を伝えればいいのか,そしてどういう順番で伝えればいいのかといった具体的な手法が述べられる.

「外国語で発想するための日本語レッスン」が文章の書き方指南だとしたら,本書はプレゼンテーション指南の本だ.自分の考えを人に伝えるという点では同じだが,対話ならではの会話のやり取りやリアルタイムで流れる時間は,文章とは違った即興性や論理展開を必要とする.取り敢えず大学生は背伸びした振りをしてビジネス書や就活本に手をだすくらいなら,一通りこれを読めと言いたくなるような,非常に信頼出来る1冊.できる事なら,テストで自己満足の論述や発表をしては一人満足するものの実際の点数はあんまり良くない,みたいな昔の自分に教えたいくらいだ….



生物を相手にした学問というのは,医学という人間自身を対象とした研究を含めれば,数学など他の学問に勝るとも劣らない長い歴史を持っている.そのような生命科学において,後世に多大なる影響を与えパラダイムシフトに重要な役割を果たしたと思われる10の著作を取り上げ,その研究の概要と著作の一部の翻訳を纏めたのが本書の概要だ.とりあげられる著作は,ヒポクラテスやアリストテレスのギリシャ哲学から始まり,ハーヴィやデカルト,ベルナール,ラマルク,ダーウィン,メンデル,モーガン,そしてワトソン・クリックと,近代の生物学の勃興を支えた数多くの研究者の名前とその著作が並ぶ.

「巨人の肩の上に立つ」と言うように,今の学問は当然ながら今までの研究成果の上に築かれるが,だからといって過去の科学史を順に追っていく必要もなければ今となっては古くなった知識を入れる必要も無い.だが,今まで人間が築いてきた知識体系の歴史を知るということは,真理であろうとなかろうと,当時の科学思想の理解,そして脈々と続く科学そのものを理解することができる.そういった意味で本書は,当時の歴史背景を含め要点を抑えた形で過去の名著を現代でも読みやすく示されるので,特に過去の名著を知る良い機会となるだろう.原典全部を読むのは大変でも,本書ならある程度の分量で全体を俯瞰することができる.

ただ一つ苦言を呈するならば,本書はただただ単調だ.10の著作それぞれの解説と著作の一部翻訳が羅列されるだけで,その時代の主流を表面的に攫ったようなだけに感じる.百科事典のようであり,ある意味Wikipediaの記事を読んでいるかのような感覚を覚えた.著作の翻訳も紙面の都合上全部が掲載されているわけではなく,特に時代を象徴する箇所をかいつまんだ形で示されるので,どうしても広く浅くという印象しか残らなかった.ここで扱われている著作の多くはそれぞれ文庫などで翻訳が存在するので,生命科学史を俯瞰する必要がなければ個別の著作を当たったほうがいいだろう.