前回の記事で久しぶりに本書を思い出して改めて読み返したのだが,やはりこの本は名著だ.内容自体も,そしてこの本が纏められた時代性を考えても,著者の異才さ非凡さを窺い知ることができる.

本書は理論物理学者,とりわけ量子力学や波動力学の発展に大きく寄与したSchrödingerが,物理学と生物学の分野を統合するような形で生命の真理を追い求めたものである.それは至極簡単な疑問から始まる.なぜ原子は生物に比べてこれほど小さいのか.逆に言えば,万物の最小単位である原子から見て,なぜ生物はこれほどまでに大きく複雑な構造を持っているのかということだ.この疑問の背景には,量子力学における原子レベルでのミクロの不確定性さやマクロでの決定的な振る舞いがある.原子や分子などは,我々が感じる世界と違って,ランダムが支配する世界だ.人間はそのミクロの世界の振る舞いを完全に観測したり予測することができず,また熱や放射線などによる状態変異も起きやすい.生物も当然ながら他の無生物と同じく原子から成り立っているのに,なぜ生物はミクロでの不確実さに影響されることなく安定した構造と機能を保ち続けているのかという問題に,Schrödingerは果敢にも分野を乗り越えて立ち向かっている.

数年前に読んだときにはただ単純に物理学と生物学の融合というところだけを見て面白がっていたのだが,統計力学や確率論をある程度学んだ現在改めてその言説に触れてみると,Schrödingerの言いたかったことをより深く理解できた気がする.読み返しながら幾度と無く「ああ,そういうことだったんだ」とひたすら納得するばかりだった.



ヤマザキパンはなぜカビないか」という有名な話がある.保存料無添加を謳っているヤマザキパンと家庭で作った手作りのパン,どちらが先にカビるだろうかという問題だ.正解は家庭で作った手作りのパンの方.なぜなら手作りでパンを作った場合では,どうしてもカビがパンの表面に付着したり中に入り込んだりして増殖しやすいからだ.その点ヤマザキパンのパン工場では,非常に清潔な環境でパンが作られているため,カビが入り込む余地がない.これは実験でも確かめられている事実だ.だが,その問題の本の著者を含め,健康に人一倍敏感な人は解答こそ正しくとも「いや,それはヤマザキパンに保存料が添加されているからだ」と見当違いな主張をしがちである.なぜそのような間違いをするかというと,カビないのはパンに含まれてる何かが原因だとして理論展開していくからだ.上の逸話を書いた方は,これらの議論に欠けているのは量の問題だとし,食品の安全について的確な意見を述べている.

しかし,この話には量の問題以上に,より根本的で難しい問題を抱えている.それは前提条件・データを信じていないことだ.保存料の有無はここでは前提条件として提示されており,同時に科学的なデータでもある.まず冒頭でヤマザキパンには保存料が入っていないと言っているのに,間違えた考え方をする人はヤマザキパンに保存料が添加されているはずだと決めつけてしまう.これは客観的に見れば明らかに言いがかりだ.ヤマザキパンに対して,いいやそれはパンじゃなくてご飯だ,と言っているのと何ら変わらない.ここでは保存料の入っていないパンと言っているのだから,そのパンにレーズンが入っていようとジャムが入っていようと,保存料は入っていないことには間違いない.そこをきちんと抑えておかないと,間違った考え方に走って前提を無視した論調になるのだ.ただ,こういう考えに至るプロセスは分からないわけではない.昔は保存料が入っていたかもしれないし,実は嘘をついてこっそり保存料を入れているかもしれないと疑うのは人間の性だ.ただ,この場合においては素直に前提を受け入れるべきだし,自分の導きたい結果から類推して前提をねじ曲げるのは論理的・批判的な姿勢ではない.

教訓としては,前提条件を自分で勝手に解釈してはいけない,与えられたデータはその通りに受け取るべきだ,ということだ.


今回の例では少し思考実験みたいな形を取ったので,上のように分かりやすい形で問題点が顕になったが,実際の科学的な議論ではこの問題が複雑になりやすい.それは前提条件やデータがはっきりと正しいとは言い切れなかったり他人の意見を元にしている場合だ.データを示してきちんと論理を組み立てたとしても,データ自体を攻撃されることは防ぎようがない.それが再取得可能であったり再現実験できるようなものであれば攻撃に対処できるのだが,大抵はそれが難しい.

山形浩生の「訳者解説」に収められている訳者あとがきの中で,これに関連した話がある.山形浩生が訳した地球温暖化に関する本の中で,ホッキョクグマの個体数の経年変化において一般的な想定とは違った傾向を示しているデータがあるのだが,その本の著者はそのデータを元に話を進めている.山形浩生はそれを変だと思い,自分ならデータの中で一部明らかに怪しい部分は信用しないと言っている.その疑問に対する著者自身の解答は,以下に引用したとおりだ.なお,ロンボルグとは原書の著者のことである.

しかしながら、それはあくまで考え方のちがいだ。この点をロンボルグに尋ねると、かれとしてはそうした恣意的なデータの取捨選択はすべきでないとの回答だった。ぼくたちはホッキョクグマの専門家じゃない。データを集めて発表しているところは、一応それなりに一貫性を持ってデータを出している。それについて見る側が自分の勝手な解釈にしたがって、元データをいじるべきではない、という。それをやるのはデータの改ざんだ、と。確かに、それは一理ある。そこから導く結論はもう少し慎重であってもいいとは思うけれど。

訳者解説 -新教養主義宣言リターンズ- (木星叢書)」(p.213)

つまりこの本の著者としては,取り敢えずはデータを信じようよ,素人の解釈でデータをいじるのは改ざんに他ならないんだと言っている.データは確かに怪しいかもしれないけれども,そこは恣意的なデータの取捨選択をしてはいけないというスタンスであり,これこそまさに最初の逸話であった保存料無添加の前提を信じる信じないの話と根っこの部分は同じなのだ.


だからと言って,この方法を徹底するのはやはり難しい.全てのデータを並べて公平に議論できるわけでもないし,明らかな外れ値などは補正しないとどうしようもない場合もある.単純な思考実験だと容易に論破できるものでも,実際の議論では通用しないことがある.ただ,原則としてこの方法を守ることは非常に重要だ.まずはこの規範を元にして,そこから許容できる範囲内でどれだけ規範を超えられるかが問題だろう.その点,許容できる程度やそのやり方は非常にシビアであり,意見の別れるところだ.僕としては,基本的にデータを信じるべきだしデータの不備は違うデータによって補うべきだと考えているが,うーん,難しい.


(なお,この文章では冒頭の逸話に則って清潔な製品としてのパンをヤマザキパンと言っており,山崎製パンの実際の商品とは何ら関係がないことを付け加えておく.)



本書「偶然と必然」は副題にある通り,進化学や遺伝学など19世紀後半から20世紀半ばにかけて発展した現代生物学という新しい考え方を通して,科学の探求における思想・哲学的な問題に対して指針を示すような内容となっている.著者はノーベル生理学医学賞を受賞したJacques Lucien Monodで,1969年の講演をもとに書かれている.翻訳書は1972年に初版が出版されているので,かれこれ40年も前の本になる.

本書ではまず自然物と人工物の違いなどから生物の特性として合目的性・自律的形態発生・複製の不変性が示される.その過程には「客観性」が重要なキーワードとして登場し,自然の持つ客観性,客観性の前提の元での科学批判の重要性,そして科学そのものが客観性を前提としていることが語られ,自然物と人工物(生物)の矛盾が提起される.そして実際に生物の持つ複雑な機能や役割を,生化学や遺伝学,そして進化学的な視点で解釈していく.そして最後には進化や人間の思考を総括し,人間の知識や倫理問題,第二の進化といった思想的な持論へと発展していく.

とまあ解ったような振りをして纏めてみたものの,実際は殆ど理解していないと思う.全体を通して過去の西洋哲学や各種思想などと織り交ぜて語られるため,概要がつかみにくい部分があってなかなか苦労した.まあこれは私の不勉強からくるものだから仕方がない.昔の名著と呼ばれる本を読むときには必ずといっていいほど起こる現象なのだが,語られる内容や表現の古さからくる難解さと自分の理解の無さが交じり合って非常に不明瞭なまま読み進めなければいけない辺り,内容をただ追うことに専念できる普段の読書とは違ってなかなか辛いものがある.

本書の場合,生命観などの思想に関しては今でも色褪せないような内容だと思われるが,生物学に限って言えば,生物の定義や生命機能の理解のような諸問題に関しては今の主流の考え方とさほど変わらない.生物分野の古典の名著といえば「生命とは何か―物理的にみた生細胞 (岩波文庫)」あたりは上手く物理と融合した内容で改めて今読み直しても結構面白いのだが,本書に限ってはやはり生物学より自然哲学の傾向が強いので,そのあたり読む人を選ぶ本かもしれない.

(追記 2012/09/20)

40年後の『偶然と必然』: モノーが描いた生命・進化・人類の未来」という本が最近出版されたらしく,書店で立ち読みした限りだとなかなかおもしろそうなので今度読んでみたい.



2010に制作,2011年には日本で公開された映画「ヤバい経済学」は,結論から言って良くも悪くもない普通の映画だった.ネタはだいたい原書から持ってきているので当然面白くないわけがないんだけれども,どうも映像でコンパクトに見せられるとイマイチ面白みが伝わってこないのが残念で仕方がなかった.その原因はおそらく議論の過程が示されないからで,ああでもないこうでもないと反論の応酬や論理の組み上げ方が見えにくいのが問題だと思うのだが,かといって学者が円卓に座って延々人の話もろくに聞かずに議論しあうのを見ても全然面白く無いし….Steven D. Levittが喋ってる映像を見られたのは良かったけど,具体的な事例は本読んだほうがいいよねという印象.

というわけで映画はあまり冴えない感じだったけど,本書「ヤバい経済学」は出版されてから5年立った現在でもその驚きは色褪せていない.経済学と統計資料を武器に社会通念を次々と覆していく様はまさに爽快そのものだ.不動産屋の売り言葉は本当なのかどうかといった話題から,学校の先生のインチキ,ドラッグの売人が儲かるかどうかに至るまで,ある意味下世話な,ある意味で人々が気付きもしなかった現象について解き明かしてくれる.しかし同時に,読者にとって不都合な真実も突きつけられることになる.日本の相撲界の八百長話や中絶の是非と犯罪率の相関,そして子供の名前と子供の将来など,薄々気付いてはいても認めたくないような結論も含まれる.ただ,じゃあ本書で述べられている議論はみんな正しいからその通りに観たり感じたり接したりしなければいけないのか,と言われれば,そういうわけでは無いというのが本書の最終的な主張だ.最終章のまとめで触られれているように,

道徳が私達の望む世界のあり方を映しているのだとすると,経済学が映しているのは世の中の実際のあり方だ.

(p.268)

とすると,私達が考えるべきことは世の中の実際のあり方から私達の望む世界へと適切にフィードバックしていくことだ.それに,個別の例で見ていけば必ずしも統計的な結論とはそぐわないことが出てくることも,念を押すかのように最後に書かれている.ある種の希望のような終わり方であり,また改めて現実を突きつけられているようでもある.


そういえば,上の文章を書き終えた後に,ちょういいタイミングで山形浩生が本書について言及していたので,それについてもちょっと書き加えておこう.

どうやら中絶の合憲判定とアメリカの犯罪低下については最終的に間違いだったらしいことが分かっているとのこと.この話題は本書の核のような話題だけに,もしそうだとすると少し残念だ.じゃあ何が原因で犯罪の低下につながったのかが気になるところだが,リンク先の論文のAbstを見る限りだと間違いの指摘しか書いてなさそうなので,その辺は追えていない.これを受けてのLevittの新しい見解が気になるところだが,また新しく本でも書いてその中で言及して欲しいところ.



うーん,やっぱり経済学は難しい.僕の知識はスティグリッツの入門経済学くらいで止まってて,大学での興味は経済学よりマーケティングの方に傾いちゃったから,そもそも基礎の辺りで分かってないんだろうなと思うことが多い.本書なんかはその点かなり分かりやすく書かれているんだろうとは思うんだけど,ベビーシッター協同組合の上手い喩えから抜けだしたあたりの,じゃあFRBや政府や投資銀行やらの具体的な政策の話に入ると,どうしても要点がつかみにくくて難しいと感じてしまう.やっぱり経済学という枠の中での定番の話について知っておかないと,クルーグマンが如何に大胆な提言をしているのかといった部分についても見えてこないんじゃないかという心配もある.

まあそれでも経済学は面白い.ヒトの物々交換が何でこんな複雑怪奇で実感とかけ離れたところまで来てしまったんだという歴史的なところから,その裏に隠れた経済活動を加速するための巧妙な仕組み,そして現実世界で今起こっている現象に対して頭のいい人たちがよってたかって集まって殴り合っている様はどれも非常に面白い.あとは「ヤバい経済学」のような日常に落とし込んだ経済学も,それはそれで実感レベルでの驚きがあって良い.経済学という人間の経済活動を研究すること自体,ドライバーが自分のポンコツ車を高速で走らせたまま修理するようなもので(これ何の喩えだっけ),それにしても本当に難しい学問だとも感じる.

本書は,リーマン・ショック以降の現在のアメリカおよびユーロ圏の経済停滞において「これからどうするのか?」という問題を,過去の大恐慌やその時代のジョン・メイナード・ケインズの研究を軸に考えていこうという内容となっている.もちろん政府やFRBのバーナンキなどはどうにかして停滞を脱しようとしているわけだが,その政策はまだまだ甘い,効果が稀薄だとクルーグマンは主張する.

さて,本書に関してはまあざっと読んで付箋をペタペタ貼りまくって一応は通読したわけだけど,取り敢えず外堀を埋めるという意味でも,もうちょっと経済学の基礎の部分を勉強していきたいところ.いくつか既に本は買ってあるし,スティグリッツの教科書もまだ残っているので,どういう感じで攻めていこうか考え中.

あと,先日のニコニコ生放送の宮崎哲弥x山形浩生x田中秀臣は本書を読む上でとても参考になった.