以前「情熱大陸」という番組で理論天文学者である小久保英一郎がTVで語った言葉が,今でも強く印象に残っている.その言葉が番組のページに残っているので少し長めに引用させてもらうと,

「探検は知的情熱の肉体的表現である」

(チェリー・ガラード:スコット南極探検隊)

僕はこれ、だいッ好きな言葉で。

もう何ていうか、 このように生きていきたいと思っているわけです。

「シミュレーションは知的情熱の計算機的表現である」と。

ほんとは僕、探検家になりたかったんですけど。

まあなかなかそういう世の中でもないので、

知的な探検をする、と。

で、道具はスーパーコンピュータということでやっています。

http://www.mbs.jp/jounetsu/2008/01_20.shtml

と,計算機シミュレーションを端的に素晴らしい言葉で言い表している.本書「スーパーコンピューターを20万円で創る」は,小久保英一郎がスーパーコンピューターGRAPEの開発に参加する少し前,まだスーパーコンピューターというものが企業主導の大資本で大規模開発されていた頃に,重力多体問題のシミュレーションを行うために自力でスーパーコンピューターを組み上げた研究者たちの実話の物語となっている.

内容はかなり大雑把に物語を追いかける形となっており細かい部分に少し物足りなさは感じるものの,それでも当時の研究者の熱意や苦悩がひしひしと伝わってくる.私自身も今現在彼らと同じような立場にあるのだが,自分の境遇と似た部分も多く,非常に勇気づけられると同時に研究への情熱を奮い立たせられるような作品だった.



本書はフィクションでありながら,同時にノンフィクション,想定されうる未来でもある.本文の言葉を借りるならば

新型インフルエンザの出現は”if”ではなく”when”の問題 (p.19)

なのである.

本書は,東南アジアのある国で起きた鳥インフルエンザの人への感染と強毒化を起点し,そのインフルエンザウィルスがどのようにして感染を拡大し日本に上陸してパンデミックを起こすかを,歴史的・科学的知見を元に詳細なディテールとともにシミュレーションしたものである.インフルエンザウィルスといっても,毎年のように冬になると家族や職場の同僚が罹るようなインフルエンザウィルスではない.最も重要なのは,それが新型でありワクチンがまだ世に存在しないこと,そして強毒性のため感染者に重大な多臓器不全を起こすということである.そのようなウィルスは,感染の拡大を妨害されることなく有病者から空気を媒介して他人に感染する.ウィルスは数日の潜伏期間があるため,感染者は必ずしも病気の症状が出ているわけではない.そのような人知れずウィスルを保持する感染者が,検疫という科学の目すらもかいくぐって,空港,鉄道,バス,職場,そして家庭へとウィルスをばらまき,新たな感染者を生み出し,そして大規模な感染拡大へとつながっていく.

本書で描かれるのは主に感染症研究所の研究員や病院の医者,保健所職員,空港の検疫官など,職業としてインフルエンザウィルスと対峙していく人間だ.彼ら/彼女らの奮闘も虚しく無慈悲にも感染は拡大していくのだが,そこから見えてくるのは,市民の感染症への無知と政府地方自治体の準備不足,そして刻々と死者が増えていく無残な現実だ.インフルエンザウィルスに対して何も対処出来ない感染者,市民,医療従事者,病院,そして政府.淡々と語られる現実の中で感じるのは,様々な不条理に対する苛立ちと無力感,もどかしさなど,本書が読者に訴えかけるものは様々だ.

2011年公開の映画「コンテイジョン」も,強毒性新型ウィルスがアメリカ全土に感染拡大していく中で起こる様々な人間模様を描いた映画であり,本書と非常によく似た作品で共通点も多い.この映画はアメリカ疾病予防管理センター(CDC)や専門家などの協力を得て作成されており,また本書の著者は国立感染症研究所研究員と,どちらも医科学的なリアリティを持ちながらも,同時にフィクションとしての緻密さや現実感を伴って見事に描き切っている.私は映画を見てから本書の存在を知り,今更ながら読んだわけだが,どちらも綿密に練られたストーリーと科学的な裏付けがされた,とても良い作品だった.あと,読み終わった後には必ず何かしないといけないという衝動にかられるだろう.それだけの危機意識を感じさせるという意味でも,本書は非常に啓蒙的でよく作られていると思う.



前回の「外国語で発想するための日本語レッスン」の記事で,三森氏の言語技術に関連した書籍としてnext49さんに教えていただいた新書を読んだ(参考:next49氏のblog記事).

本書は,海外のサッカー指導法に影響を受けた田嶋幸三氏が,日本のサッカー選手/指導者の育成に言語技術などを取り入れ実践している現場を紹介したものとなっている.田嶋氏は個人的な指導にとどまらず,指導者のライセンス制度の改革や全寮制のエリート育成学校を立ち上げるなど,精力的に活動されている.その中で教えている内容というのが,本書のキーワードである「言語技術」である.どのようにして選手に考える力を付け自己決定力の能力を育てるか,そういう選手に育てるようなサッカー指導者自体をどう育てるか,そういった選手と指導者の両者にわたる指導法が非常に詳しく具体的に書かれている.それに加え,現在の活躍に至る過程にあった,田嶋氏自身の留学の苦い経験や海外勢の根本的に違う価値観や考え方,そして日本サッカー自体の不振と再興への思いも盛り込まれている.

三森ゆりか氏の著作では言語技術の基礎や背景などの理論的な部分が多かったが,本書ではより応用・実践的な部分について,じゃあどうやって子供に教えればいいのか,どういう段階を踏むべきなのか,目指すところはどこなのかといった疑問をひと通り網羅している.ただ,かなり多岐にわたるトピックが新書1冊に詰め込まれているため,始めにいきなり服装や態度の話から入ったり,論理とは別の話として偉人の言葉のリスペクトといった本題から脇にそれる話が挟まったりと,少し論理的な思考技術から外れる部分もあるが,言語技術に関しては実例とともに分かりやすく整理されている.そして何よりもまず実践に基づいた語り口ほど説得力のあるものは無いと言える.三森氏の「外国語で発想するための日本語レッスン」と合わせてお薦めできる1冊だ.



Ruby on Railsなどで知られる37signalsのJason FriedとDHHの著作.ハヤカワ新書juiceで既に書籍化されていたが,完全版となるにあたって原書付属のイラストが加わり,ハードカバーになっているほか,訳者あとがきが削除されている.

私はハヤカワ新書の時に一度読んでいるので今回改めて読み返したのだけれども,口調はぶっきらぼうながらも極限まで突き詰めたシンプルさと合理性で,非常に痛快だ.まさに彼ららしいやり方だと感じる.これを異端と捉えるか革新と捉えるかは最終的に読者に委ねられるが,一つだけ確かなことは,彼らはこの方法で収益を上げて成功している.そういう意味で,この企業はビジネスの世界では絶対的に正しい.

あと,はてブが全くついてないので意外だったのだが,37signalsの本書公式ページで旧体制の大企業を痛烈に批判したプロモーションビデオがあるので,本書を読まれた方はぜひ一度見て見ることをお薦めする.



主張は恐ろしく簡潔だ.成功者は小さな試行錯誤を繰り返す.様々な試行は殆ど失敗に終わるが,それを経験と見なして学習する.そして多数の失敗の中から小さな成功を見つけて,それを積み重ねていく.そういった一連のプロセスを「小さな賭け」と呼び,近年大きな活躍を見せている起業家や会社,コメディアンから軍隊までが,どういった方法で小さな賭けを実行しているかを,社会心理学や人類学などの最新知見とともに詳しく解説したのが本書「小さく賭けろ!」である.

こんな分かりきったことを言うだけなら,これほど簡単なことは無い.しかし,本書の前半では成功者に共通する方法からさらに踏み込んで,どういった態度で試行錯誤から失敗を学び成功を導き出せばよいのか,その基本的な思考パターンというものを心理学的な側面から解析している.本書ではそれをマインドセットと呼び,社会心理学者のCarol Dweckが研究しているモチベーションの研究を引き合いに出して,人が学習する態度には「固定的マインドセット」と「成長思考のマインドセット」の2つがあるとしている.この対比は本書の図によくまとまっているが,そこから言葉を少し拝借すれば,固定的マインドセットの人間は「知性は静的」であると思い込み「頭が良いと見られたい」がために,自分の中で言い訳を作り「自由意志の力を信じず,決定論的に世界を見るようになりやすい」としている.一方,成長思考のマインドセットの人間は「知性は成長できる」と考え「学ぶ意欲が強い」がために,「自らの意志の力を信じる傾向が強まる」という性質がある.この2つのマインドセットは完全に人によって区別できるものではなく,両者のバランスの上に成り立っているとしながらも,それぞれが学習や失敗,批判や人の成功に対して取る態度は恐ろしいほど異なっている.そして,本書の主題である小さな賭けを繰り返すアプローチは,上で示した成長思考のマインドセットと親和性が高く,その思考を鍛えることに繋がると結論づけている.つまり,ただひたすらに試行錯誤を繰り返せば良いアイデアが自ずと出てくるというわけではなく,一連のプロセスから得られる結果を自分がどう捉えるかによって,その価値を認め活かすことができるかどうかが決まってくるというのだ.この分析は,具体的な事例から成功者の成功者たる所以を知るための背景知識として,非常に重要な意味合いを持ってくる.

本書後半では,どういう人間が試行錯誤の中から成功の予兆を感じ取りやすいかといった問題や,試行錯誤を実践するための具体的な方法,偉大な成功者たちの事例などが多数示されている.本書はハウツー本では無いので,何をすれば成功できるといったマニュアルのようなものは書かれていない.しかし,個人がどのように独創的なアイデアを生み出し不確実性に対処できるようなクリエイティブな活動ができるか,その方法と実例がたっぷり詰まった1冊だと言える.

(追記 2012/09/12)

こことは別の個人的な雑文置き場のblogに,この本の逸話にまつわる話を少し書いた.上の文章よりも意外によく纏まってしまったので差し替えようかとも思ったが,取り敢えず別の話なのでそのままにしておく.

http://yag-ays.hatenablog.com/entry/2012/09/12/142735