題名は少し語弊があるし,あまりにも意訳しすぎている.原題”Nine Algorithms that Changed the Future: The Ingenious Ideas that Drive Today’s Computers”を見てもらえればわかるとおり,本書で取り上げられているアルゴリズムはどれも,1930年以降の計算機科学の勃興において中心的な役割を果たしたものから,近年のビッグデータなどに伴う大規模情報処理の手法に至るまで,現在の情報社会に強く影響を与え続けているものばかりだ.それらを9つの分類に分けて,それぞれ具体例を用いて分かりやすく解説したのが本書である.対象としているアルゴリズムは主に,Webの検索エンジンやページランクに始まり,セキュリティにまつわる公開鍵暗号やデジタル署名,データの取り扱いにまつわるデータベースやデータ圧縮,さらには機械学習に代表されるパターン認識まで,アルゴリズムというトピックに縛られることなく情報理論や計算機科学などを広くまたぐような形で選ばれている.また,10章「決定不可能性とはなにか」では停止性問題に関わる話題も組み込まれており,ただのアルゴリズムの事例紹介だけに留まらないことがわかる.

上に書いた通り,本書には様々な話題が詰め込まれているが,それを300ページ足らずの本で理論から応用まで網羅することなど不可能なことは明らかだろう.アルゴリズムの根本的な仕組みは丁寧に解説されるが,実際にどういう形で使われているかといった詳細な部分に関しては省かれている場合が多い.このような内容に関して,何を書いて何を書いていないかといったことはイントロダクションで詳しく述べられており,普段何気なくコンピューターや携帯を使っている人に,その裏で使われているアルゴリズムを少しでも意識してもらいたいという趣旨で書かれているようだ.そういった点で,アルゴリズムがどこで使われているか,何を目的としているか,どのような仕組みで実現しているのかといった要点は非常に上手くまとまっている.その反面,ある程度情報理論やプログラミングに明るい人が読むと,少し物足りなさを感じるだろうと思う.アルゴリズムの歴史などは面白いかもしれないが,それ以外の部分はかなり初歩的な内容の復習になってしまう.知っているところは読み飛ばしたり,アルゴリズムの説明の仕方や具体例を学ぶといった割り切りが必要になってくる.個人的にはmodを時計に喩えて説明している箇所がなるほどといった感じだったが,人に説明するときは使えても自分で読む文には逆に辛いものがある.

題名だけ見ると安いまとめサイトみたいな印象だが,内容は確かだ.非インターネット世代向けの啓蒙書,またはインターネット世代がこれから勉強するキッカケとなるような入門書だと言える.



本書は「ロバストネス」というシステムの安定性を支える構造の概念を軸に,そこから生物の仕組みや生存,そして進化を考えていこうといった内容となっている.まず始めにロバストネスとはいったいどういう状態を指すのかが示されたのちに,実際に飛行機などの人間が作った工業製品を例に,どのような仕組みがロバストネスを生み出しているのかが細かく解説される.そして,ロバストネスとトレードオフの関係にあるフラジリティFragilityが取り上げられ,それらが表裏一体のものとして切り離せない概念として語られる.本書は題名にもある通り,生物のロバストネスを様々な箇所で引き合いに出しながらその概念が説明されていく.そして,では病気や癌や進化といった生命活動が引き起こすものがロバストネスとどう関係してくるのかが,後半において中心の話題となっている.

普段ビジネスなどの文脈でロバストネスなどと語られると,なんだか安定したシステムでいろんな状況にでも耐えられるんでしょといった曖昧な理解で終わってしまいがちだが,本書はその点かなりしっかりとロバストネスに関して,そしてそれが示す柔軟性がどのように実現しているのかに関して個々の構造に分解して語られる.個々の部品の詳細な解説は豊富な具体例を引き合いに解説されるため,雰囲気で概要を掴んでいた人から全く知らいない人でも理解できるようになっており,入門書としてはかなり良く纏まっていると思う.

ただ,細かい部分に関して個人的に幾つか物足りなさや疑問が残る部分があったので,少し書きだしてみようと思う.

まずは,本書ではコストに関して殆ど言及されていないのが個人的には非常に引っかかる.ロバストネスを実現するには必ずコストかかる.本書前半の飛行機の例で言えば,複数のコンピュータを載せて冗長化すれば部品の故障に対応できるとあって正にその通りなのだが,そもそも使いもしないコンピュータを用意して整備して飛行機に載せて常に使えるようにしておく必要があるのだ.飛行機の場合なら安全に飛ぶことが最大の目的なので,普段は不要なコンピュータを載せておいてもまあ燃料代がかさむくらいで済むのだが,生物の場合はそうは行かない.生物は常に限られたエネルギーを使って生命活動を行わなけばいけないため,生命維持にエネルギーを使うかロバストネスを実現するためにエネルギーを使うかを常に選択し続けなければならない.工業製品の場合は大抵手を加えれば加えるだけロバストネスの質が上がっていくが,生物においてはロバストネスの維持にエネルギーを割けば普通は他の部分に手が回らなくなる.そのような点で,コストという概念は生物を考えるときに欠かせないと思うのだが,本書ではあまり触れられていなかったのが残念だった.これはある意味本書で述べられているところの「システム構造理解」において大いに問題があるのではないかと思うのだが….

こういう話をするときにいつも思い出すblog記事がある.

人工衛星を作るときに気を付けること - Lagrangian point L2

人工衛星は一度飛ばしたらハードウェアに関して全く手がつけられないという点で究極のロバストさが必要とされるものだと私は思うのだが,そのアプローチがなかなか面白い.当然色々な工夫をして故障や事故に備えるのだが,単純に基盤を多く載せたり回路を多様化すればいいというわけではなく,

「人の手」という最終兵器が使えない以上,弱点の無い衛星システムは作れず,乱暴に言えば「どの弱点を曝すのが一番マシか」という考え方になる

http://d.hatena.ne.jp/nyanp/20110411/p1

といった感じに逆の発想で弱点を軸に考えるあたりが興味深い.


あと他に残る不満点としては,進化とロバストネスの箇所も色々と突っ込みたいところなのだが,これはまあ進化に対してはあらゆる立場の人がいて非常に繊細で難しい部分なので省略する.そもそも外界の擾乱について,その質とか時間的な変化とかを何も考えなくていいの?という感じで,あんまりしっくりきていない.



外国語で発想するための日本語レッスン - 発声練習」の書評で興味が湧いて読んだのだが,まさにスゴ本,久しぶりに目から鱗が落ちるような体験をした.何気ないことへの明確な理論的解釈を与えられ頭の論理回路を再構築するような感覚で,知的興奮とは違った別の高揚感を感じた.

本書は,最近良く言われるようになった「外国語を身につけるために日本語をしっかり勉強する」ための本なのだが,最大の特徴は外国で教えられている読書技術を日本語で実践して,その思考能力や技術力を学ぼうというものだ.日本語の技術を学ぶからといって,日本語の文法をおさらいしたり,闇雲に近代文学や有名な随筆を読むわけではない.むしろ,本書ではまず「絵画」を分析して解釈するところから始めて,そこから次第に複雑な文章へと進んでいく.その中で,個人が物事を観て考えるということはどういうことなのか,そして何をすべきなのかといった普遍的な論理的思考を身につけていこうといった内容となっている.なお,ここでいう「外国」とは主にドイツ・フランス・イタリアなどの北欧とアメリカを含めた欧米諸国のことを指す.

では,外国で教えられている読書技術とは何か?それは終始この本の中で述べられれる「テクストの分析と解釈・批判」である.これはCritical Readingと呼ばれるもので,何に対しても批判的に捉えるための技術といえる.これにはまず,論評文や小説にかぎらず,絵画,音楽など全ての創作物には.必ず意味があるという前提から始まる.詳しく言えば,創作物を構成する要素には必ず意味があり,創作物を象徴する役割が与えられているということだ.無意味に出てくるキャラクターや設定などは無く,すべて創作者が何らかの意図で配置していると仮定している.それを基礎として,私達は題材を読んだり観たり聴いたりすることで,それらの要素を分析し,意味や象徴性を解釈し,そして得られた情報をもとに批判的に検討して意見をまとめあげる.このような一連の流れを,ここでは「テクストの分析と解釈・批判」と呼んでいる.この工程には,自分の好き嫌いを語ったり主観的に鑑賞することは一切入ってこない.とにかく与えられた題材をもとに,ひたすら創作物の中にある根拠を重ねることによって主観性を排除し,そこから解釈をして最終的に意図を汲み取るようなスタイルとなっている.

実際にどうやって実践するかは本書を読んでいただくとして,その読み解き方は本当に驚くほど徹底したもので,普段どれだけ雰囲気でなんとなく解釈していたかを酷く思い知らされたと同時に,厳密に根拠から論理を組み立てていくことの難しさを再認識させられるばかりだった.ただ,こればかりは理解すれば一朝一夕に出来るようになるものでもないので,ひたすら訓練を繰り返すしかないだろう.

学校の国語の授業が嫌いだった人,美術館に行って絵画を観ても何をすればいいか分からず手持ち無沙汰になる人,論文を読んで書いてあることはわかったけどそこから新規性や問題点などが読み取れない人などに是非薦めたい1冊.自分が教える立場になったら参考にしたい1冊でもある.

(追記:2012/09/25)

本書とペアになっている「外国語を身につけるための日本語レッスン」も同様にお薦めできる1冊なので,ぜひ参考にしていただきたい.



本書「なかのとおるの生命科学者の伝記を読む」では,過去に実在した学者の自伝を取り上げ,成し遂げられた研究の周辺知識とともに,その人生を分かりやすく簡潔にまとめたコラム集である.登場するのは古今東西様々な生命科学分野の学者や研究者で,18世紀の外科医から,病理学,生化学,細菌学,20世紀の遺伝学に至るまで,カバーしている範囲は非常に広い.ただし,伝記が出版されていることが前提条件なので,自分で書いた伝記にしろ人に書いてもらった伝記にしろ,本書で自然と取り上げられる学者は限定される.ともなると有名ドコロが勢揃いとなり,よく知っている偉大な先達や名前を一度は聞いたことのあるノーベル賞受賞者が並ぶのだが,彼ら彼女らの人生はどれも恐ろしいほど多彩で唯一無二の際立って特徴的な人生だったことがわかる.皆が思い浮かべるような学者像のような人物は誰としていない.それぞれが,時代とともに生き,時代とともに研究を重ね,そして一人の人間として生きてきたことがひしひしと伝わってくる.ひたすら実直なまでに真面目な人生を送りつづけた学者,新しい分野に活路を見出し自分の専門に拘ることのなかった学者,悪役として非難を受けながらも科学の発展のために信念を決して曲げなかった学者など,そんな学者たちの人生が伝記を通して明らかになる.

それぞれの学者の伝記はそれぞれ20ページほどの分量で,特徴を押さえつつ要点を絞って紹介されているので,非常に読みやすい.伝記というとどうしても一人の人間の人生ということで大作になってしまいページ数も異常に多くなりがちだが,本書ではそれがうまい具合に凝縮されていて概要をつかみやすい.本書を読んでもっと詳しく知りたいとなれば自伝を買って読めばいいだけなので,読書のガイドとしても有用な1冊だと思う.かという私はこの本を読んでCraig Venterの自伝を購入し少しずつ読んでいるのだが,これがかなりの分量で,まだVenterがNIHで上層部と火花を散らしているところまでしか読み進められていない.読み終わるのはいつになることやら….



だいぶ前に読み終わっていたのだけれども,何を書けばいいのか全く思いつかなかったので後回しにしていた1冊.何を書いても浅い理解しか出来ていない気がして,どうしても纏めきれなかった.

ヒトの遺伝子に関する知見が蓄積されてきて,遺伝子と病気,遺伝子と人種,遺伝子と性格(知性)など,人間の個性や文化活動にまつわる様々な要因が明らかになりつつある.そういった現実を,豊富な具体例とともに網羅的に案内してくれるのが本書の大まかな趣旨となっている.個々の内容は専門性がある程度高いものの,バックグラウンドが無い人でも理解しやすいように安易な言葉で書かれており,現実に起こっている事例をもとに話が展開していくため,細かい病名や背景などを気にしなければ大筋は非常に理解しやすい.

本書の内容にはあまり触れられなかったので,ここからは個人的な感想(印象).

情報がどこまでも精細にかつ確実なものになったとしても,ある意味「予言」とも取れる情報を前にして僕達がすべきことは,ただ選ぶことだけだ.逆に言えば,どこまでいっても選ぶことを効率化できず,律速段階として残ってしまう.情報を見るか見ないか,信じるか信じないか,使うか使わないか,それらは自由という名のもとに各自に責任を委ねられている.情報には絶えず欲望と不確定要素が付きまとい,リスクとコストが複雑に絡み合った数式を最適化するために僕らがすべき選択は,個人では背負いきれないほどの重荷となるのか,それとも新しい決定プロセスによって置き換わるのか,今のところ全く予測ができない.伊藤計劃の「ハーモニー」のような,人間の健康がリソースとして異常なまでの待遇をうけ管理される世界が現実に訪れるやもしれない.

ただ,現実的に近い将来訪れるであろう目先の選択をするためにも,ぜひとも知っておくべき内容を本書は大いに含んでいる.全てを知り全てを考慮することはできないが,まずは選ぶことができることを知っておくことが重要だろう.

自ら選んで勝利を勝ち取った人の逸話の冒頭部を最後に引用しておこう.常にこのようにありたいと思いつつも,生半可な決断しかできず後になって他の選択肢は無かったのかと自省するばかりの自分の人生だけれども,この文章のくだりを読むと,まだ勝負は決まっていない,もう少しがんばろう,と思えてくる.

人生にリハーサルはない。

 

十分な準備が整うことは、実は少ない。 自ら選んだ問題についてなら、長い時間をかけて〈専門家〉の域に達することもできよう。 だが、問題と呼ぶべきものは、不意をうってやって来る。 向こうからやって来るほとんど問題に対して、誰もが〈素人〉として向かい合うしかない。

 

例えば、すべての人が病気になるが、ほとんどの人は医者ではない。

 

「検索するとはこういうことだ/インテルCEOと前立腺がんの1800日 読書猿Classic: between / beyond readers」 http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-485.html