文明の誕生から現代までの人類の歴史を飲み物を軸に紐解いていこうという本書は,非常に挑戦的でありながら驚くほど説得力をもった纏まりを持ち,各年代の文明の有り様と飲み物の性質のつながりを非常に明確に示している.6つの飲み物とは,ビール,ワイン,蒸留酒,コーヒー,紅茶,コーラのことを指し,この順番で時代が過去から現代に向けて語られていく.

飲み物は人間が生きていくには欠かせない.ただ,飲み物というのは時代毎によって役割が違っていた.まず,飲み物は安全でなければならなかった.病原菌などに汚染されていない飲料として重宝されたのは酒だった.時には薬としても使われた.飲み物の種類は文明の発達によって次第にバリエーションが増え,原始的な農耕からビールが生まれ,文明の広がりや海運の発達とともにワインが誕生し,アメリカ大陸の発見や植民地での貿易に伴って蒸留酒(ラム酒など)が作られるようになった.

次に,飲み物は知的生産のために飲まれるようになった.アルコールの酔いから,カフェインの覚醒に移行したのだ.コーヒーや紅茶は上流階級で嗜まれるようになり,次第に社交場としてのカフェなどに広まり,次第に誰もが口にする飲み物となった.そうした中でカフェインに変わる次の覚醒作用のあるものとして覚せい剤などに混じりコカが飲まれるようになり,アメリカの薬売りによってコーラが誕生する.コーラはこれまでの飲み物とは違い,商業的な広告戦略によって広がりを見せた.あるときは炭酸が入った流行の先端を行く飲み物として,また戦争時には自由の象徴として,また禁酒などの煽りに合わせた健全な飲み物として,民主主義的な拡大に乗った飲みものだった.

このように,飲み物と文明との関わりは切っても切り離せない密接な関係にあった.酒や茶,コーヒー,コーラなどは様々な歴史を経て,現代では全て嗜好品として今でも飲まれ続けている.逆に言えば,今身近にある様々な種類の飲み物は文明の発達とともに発達し,改良を重ねられ,そしていまの文明にあった形で現在も飲まれている.現代においても慣れ親しまれてきた飲み物の歴史を改めて見てみると,今とは違った役割を担って飲まれてきたことがわかり,その歴史と役割は驚きに満ちている.

さて,これまでは歴史書なのだが,エピローグとしてこれからの飲み物について少し触れられている.これまでの6つの飲み物の次に来るのは一体何なのかという疑問に,著者は「水」ではないかと言っている.ここでの水とはミネラルウォーターであり,そしてH2Oに戻ってくるのだという.ペットボトルとして飲み物が消費される現在,ミネラルウォーターというものは,発展途上国では安全な飲み水として,先進国ではファッションや健康志向の飲み物として消費されている.また,これからの宇宙開拓において地球外に出るときに重要なのは外部の惑星に水があるかどうかであるとしているが,これはもっと先のことだろう.前者のミネラルウォーターに関しては正にその通りだと思うが,現在のところ医学的な根拠に薄いしファッションや流行としての消費が強いと思う.もしこれから新しく「健康に良い」とされる飲料が出てくれば,ミネラルウォーターが取って代わられることは過去の事例から容易に想像がつく.今のところそれが何かはわからないが,健康や長寿といった安全の先にあるものをターゲットにして広く普及するのは間違い無いだろう.

いずれにせよ,飲み物の役割というのは過去から現在に至るまで,ヒトの生命活動および文化活動という一貫した動機に支えられていることを,この本から垣間見ることが出来る.個別の飲み物の歴史から逸話まで非常に丁寧にかかれており,歴史に詳しくない自分でも軽い感じでテンポよく読める本だった.前提知識として必要なのは,6つの飲み物を飲んだことがあるかどうかだけだ.


これでトム・スタンデージの訳書は全て目を通したことになる.最初に「ヴィクトリア朝時代のインターネット」を読んで非常に衝撃を受け,同じタイミングで出版された「謎のチェス指し人形 ターク」を読み,今回「世界を変えた6つの飲み物」をアマゾンのマーケットプレイスで中古で購入してまで読んだが,やはり全体的にハズレ無しという感じだ.次の訳書を待ってもいいが,折角だし今度は原書で読み始めようか.



「遺伝統計学の基礎」をひと通り読んだのだけれども,はっきり言ってわかりにくい本だった.内容はあっちこっちに飛んで統一感が無いし,シミュレーションがある割には天下り的な理論導入で具体性に欠けるし,結局何がやりたくてどういう手法を使ってどんな結果が出たら嬉しいのかが終始読み取るのに苦労した.そりゃお前が不勉強で物知らずだからだろと言われればそれまでなんだけど,この本の売りであるRのコードとシミュレーションに関して個人的に思うところがあったので,ちょっと書き留めておこうと思う.簡単に言ってしまえば,理論を身につけてシミュレーションを理解する流れが非常にダルい.

この本の中に出てくるシミュレーションをきちんと理解するのは,何も知らない読者にとっては恐ろしく大変だ.書いてある内容が難解すぎて大変というわけではない.本文は平易に書かれているし,数式だってそれほど苦労するほどではない.シミュレーションも「こういう原理があってこういう解析をすると知りたいことが計算できるよね?じゃあRで適当にそれっぽいデータ作ってシミュレーションしてみよう.ほら,結果はきちんと出ましたね」という感じで淡々と進んでいく.頭から読み進めると「確かにそうだ,確かにそうだ」と解った気になるのだが,ひと通り読んだあとに振り返ってみて,この章は何を書いてあったかなと考えると,頭に残っているのは説明された事実とシミュレーションの結果だけ.じゃあこれが何処でどんな風に使えるのか,そして何がしたかったのかと首を傾げることになる.

シミュレーションを理解するのに一番重要な点は,何よりまず前提条件を理解することだ.どんな結果を期待してるか?データセットはどういう値や集合を用いるか?初期値はどう指定する?可変なパラメータは何だ?解析の肝となる数式はどれだ?といった具合に,とにかくコードの上で用意されたシミュレートの舞台の裏側を理解する必要がある.時には結果から遡って解釈する必要がある.しかし,言ってしまえば逆に細部なんて理解しなくてもシミュレーションは雰囲気さえ掴めれば細部を理解してなくてもおおよそ予測が付く.解析の流れがわかっていれば,それを一般化するだけで済むのだ.そして,それに必要なのは具体例だ.この本で一番問題だと思うのは,その前提条件の理解において,具体例となるような理論とコードを橋渡しする部分が非常に乏しいことだ.具体的に観測される値をpやqなどで表すことは数式の上で書かれていても,それがどういう値を取るかといった具体例などの数字はコードの部分まで出てこない.用いるデータセットは時に何らかの手を加えた関数からランダムに作られるが,それが結果を導くのに都合のいい事は感覚で分かるものの意図が説明されず分からないことが多い.また,長いコードや関数定義が入れ子になっているコードほど,理論のところで説明された数式がコードのどの部分に該当するかが分かりにくい.理論とコードを行ったり来たり見比べて,ようやく「理論の制約条件はここのコードに効いてくるのか」とか「コードで作ってるデータセットはこういう結果を導いたいからなのか」といったことが見えてくる.

シミュレーションは予定調和で進んでいくだけで,その裏の意図を理解するのに非常に苦労する.このように,理論的な解釈からいきなり具体的な値と解析コードに落としこむ部分が難解なのだ.理論を理解する難しさとコードを理解する難しさが重なって,どっちつかずに曖昧なまま読み進めていかざるを得ない.まあ,そうやって理解する過程にこそ意義があるというなら,それはまあそうなんだろう.現に自分も躍起になって他の資料を当たったりコード書きなおしたりして勉強した.ただ,この本は何にしてもはっきりしなくて不親切というのが率直な感想だ.なんで小さな値で実際に解析をやってみせて,それを大きな値でシミュレートするという方向に持って行かないんだろう.なんでRのコードでシミュレートしたり作図した結果を提示して終わるんじゃなくて,ここの値がこうだからこういう意味を持つんですよ,これが見たいからこんな条件でシミュレーションを作ったんですよといった具体的な解釈をしないんだろう.

結局のところ,現場を知ってる専門家に向けた難易度とも思えず,遺伝統計学を一から学ぶ学生にとっては具体例に乏しく,リファレンスとして使うにも纏まりに欠け,どんな読者を対象としているのかよく分からない本だった.

最後に…

余計な補足かもしれないが,この本は誤植が多い.公式の訂正以外にも有志が独自に訂正情報を出しているので,これから読む人は参考にするべきだろう.個人的に確認した範囲では,有志の訂正情報は大体正しかったと思う.



「数学で犯罪を解決する」のあとがきで「やっぱりこのおっさん面白いな」ということを再認識したのだが,そういえば山形浩生の文章って断片的にしか読んでこなかったと思って取り敢えずコラムやら短文の類を纏めて読んでみた次第.まあコラム集なんかは当たり外れはあるんだけれどもとにかく面白くて,あとがきを読むだけでも非常に興味深く元の本を読みたくなるものばかりだった.

個人的には非常に満足なんだけど,山形浩生自身が書いた文章ってまあこの本以外に後数冊くらいあって,あとはネットの散文を集めればそれで大体はカバーできる(と思う).そう考えると山形浩生自体のことをもっと知るにはあとは訳書をひたすら追いかけるしかなくて,もっと雑多なものを色々と出してくれると面白いんだけど…まあこれに関しては「訳者解説」のあとがきで,山形浩生自身が翻訳は早いのに文章書きは遅筆なことを旅での海外旅行と仕事での海外赴任になぞらえて書いていて,これがまた良い文章なんだけど,その中で「訳書は自分が行きたいと思ってなかったところに行ける」といったことを書いていて,まあまずは彼の訳書を道標にして色々乱読してみるか,という感じ.

参考



「パターン認識と機械学習」勉強会の復々習レーン#3で,3章の頭を担当しました.資料はslideshareにアップロードしています.

Re revenge chap03-1
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3章の頭は線形回帰モデルの導入部分でPRMLの中では簡単な部類のところなのですが,きちんと説明しようとすればするほど自分の理解がいかに曖昧なものだったか思い知らされるばかりで,非常に勉強になりました.特に「§3.1.最小二乗法の幾何学」に関しては参加者の皆様に頼りっきりという何とも情けない感じになってしまったのですが,懇切丁寧に教えていただいたおかげで何とか図の直感的理解くらいはできるようになりました.これに関しては,その場で指摘していただいたことと自分の解釈をこねくり回しつつある程度纏めたものを,スライドの最後に補足として付け加えてあります.とは言っても,本文に書かれている数式は全くといっていいほど追いきれていないので,「学習の学習」とにらめっこしつつ,もう少し理解を深めたいと思います.

次回もよろしくお願いします.



ジョン・メイナード=スミスの生物学啓蒙書.生命の定義から始まり,進化学,遺伝学,神経科学,生態学,発生学まで,生物学全般を広く浅く取り扱った本で,非常に基本的な概念を話の流れに沿って丁寧に解説している.原書のタイトルは”THE PROBLEMS OF BIOLOGY”とあり,まえがきでジョン・メイナード=スミスがハッキリと書いている通り,生物に対する問題提起というのは何を以ってして生物の理解と捉えるかといった全体論と還元論的な意味で非常に難しい部分だ.本書では中立的な立場を取っており,その両方から攻めることで最終的に中央にある真の理解に辿り着けるという理念のもとで,本の中で何を話して何を話さないかということが慎重に述べられている.統一的に生物を扱うことの難しさは非常によく分かるし,ましてや一般書として生物の基礎の基礎から解説しようというものだから,まえがきで各方面に異常なほど配慮しているのは仕方がないのだろう.

内容としては簡潔に纏められている印象はあるが,じゃあ今敢えてジョン・メイナード=スミスのこの本書を読む意味があるかと考えると,正直なところ考えこんでしまう.生物学を俯瞰する意味ではどの点を取っても現在ならもっと良い本が出ているだろうし,ジョン・メイナード=スミスの哲学はもっと研究よりの本を読まなければ垣間見ることが出来ないだろう.本書が出版されて20年経った今となっては,宙に浮いた感じの対象の定まらない本だと言える.とは言っても,それこそ上に書いたような問題と同じように,各論ばかりに目が行き過ぎていて総論として纏めることの重要性や意義などを過小評価しているのかもしれず,読んでいて非常に判断に困る感じがした.