まずはじめに,本書はNicholas G. Carrによる”The Glass Cage”の訳書である.前作の「ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること」を踏襲しているとはいえ,タイトルの訳があまりに酷いので,この点をまず触れておきたい.タイトルと中身を考慮すると,yomoyomo氏による書評(link)の「自動化は我々をバカにする?」くらいが適当だろう.急速に発達した電子機器任せで思考と判断をなかば放棄した人間は,ディスプレイという名のガラスの檻に捉えられているのと同じだ,というのが本書のタイトルのニュアンスだろうか.
というわけで本書は行き過ぎた科学技術に対する自動化(オートメーション化)に警鐘を鳴らすという内容だが,それ以上に,人間と科学技術の在り方についてかなり広範囲にわたって議論している.「科学技術の発達で雇用がなくなった!?」「科学技術の発達で人間は脳を使わなくなった!?」「科学技術の発達で人間は倫理的判断まで放棄した!?」そういった分かりやすいトピックを各所に散りばめながらも,科学技術が発達することによって,人間はどう変わったのかということが本書の中心にある.もともと自動化というものは,人間の行動を機械に委託して時間や労力を短縮しうるものだった.それが,時に人間の意図とは別に行動までをも変化してしまう場合がある.道具を持って手作業で製品を作っていた熟練工は,レバーを引いて数値を眺めるだけの単純作業者となってしまった.そういった変化を,飛行機のパイロットや医師,車の運転者などの様々な側面から眺めていく.
まず個人的なスタンスを表明しておきたい.ここでは科学技術で作られる産物を一般に機械と呼ぶことにする.人間と機械の関係において問題があるならば,それは機械の設計や使い方が間違っている.人間と機械の接点にあるインターフェイスに改良の余地があるのであって,それはすべて今後の人間工学や工業デザイン的な側面から解決しうるものであると考える.
というわけで私は科学を信奉する者として常に科学技術寄りの考えなので,本書を読んでいるとページごとにツッコミを入れたくなるくらいだった.前半は特に歴史的観点から雇用との関連が出てきて,科学の発達で雇用は失われたと主張する始末で,それはよそでやってくれよと正直辟易した.個々の記述に反論するのは枝葉の問題なんだけれども,例えば飛行機が発明されなかったらパイロットなんてものは必要なかったわけで,それが科学の発達で飛行機の通信士などが不要になったことを強調されてもねぇ,と思ってしまう.それに,パイロットの絶対数や航空業界全体で見た時の雇用人数であったり,離着陸する便数を考慮して正規化した上で考えた時に,本当に減ってるのかみたいな話をするべきだと感じる.正直なところ雇用に関しては完全に蛇足だ.ただ自分に関心がないだけなのかもしれないけど…….
それが後半では少しマシになるというか,ようやく純粋に科学技術と人間の関係性について純粋に議論されるようになる.ここらへんの話は,純粋に道具を使う人間の性質と現在の科学技術の限界と捉えることができるので,だいぶ安心して読める.自動化にはテクノロジー中心的オートメーションと人間中心的オートメーションがあるとか,建築家のドローイングなどを例として抽象化する能力と創造性に関連があるだとか,設計理念として現在のテクノロジーはどうなんだというところが焦点になる.それを踏まえて考えると,人間の意識における知覚は身体的なものの延長線上にあり,それが現実を規定しうるものとして重要だから,それを殺さないようにするべきという感じだろうか.近年突出して出てきたグーグルグラスやスマートフォンなどに対し,本書の中で著者は「使い方次第で全にも悪にも見えるサイクルを,私たちは起動させた (P.258)」と言っているが,それは両面的であり,科学技術を使う人間に委ねられているといえる.
本書の締めの1章では,草刈りという題材で人間の道具との関連性について述べている.草を刈る大鎌は,人間が立ちながら構えることが可能で上半身全体を使って効率よく作業することができる.一方,片手で持つ小鎌は屈んで作業しなければいけないし,大鎌と比べると効率が悪い.でも,小鎌は目に止まった花を無意味に刈ることを避け,小さな動物を間違って殺さずに済む.効率には,無慈悲さや無神経さが伴い,道具を使った行為には倫理的や道徳的な側面があるという.本書で書かれているこの話だけを抜粋して聞くと何のことやらと思うかもしれないが,だいたいの人は大量生産品よりも手作りの料理や工芸品を有難がったりと,そこにはクオリティ以上の精神的な何かが意思決定に働いているのかもしれない.そういったところから,大鎌以上に効率の良いコンバインなどの大型農業機械が登場した現在,これから科学技術がもっと発展して農業の自動化などがよりすすんだ未来,道具の精神性はどのようになるのかという思索で本書は終わっている.色々書かれていて個人的に反発も覚えたものの,本書最後の一段落は,自分の意見と同じ内容で,希望を感じさせるものだった.